【FIFA汚職と刑事訴訟法改正案】改めて問われる取り調べの可視化――冤罪につなげない「合意」とは

―― 江川紹子の事件簿 ―― ⇒【前編】FIFA汚職摘発で司法取引に追い風が

冤罪につなげない「合意」とは

 そうした懸念に対し法務省側は、「合意」をするには、 ・弁護人の同意が必要であり、 ・検察は、裏付け証拠がなければ、合意に基づく供述を証拠として使わないし、 ・証拠として使われる時には、裁判で合意内容がオープンにされ、 ・嘘の証言が明らかになれば処罰される などとして、虚偽証言による冤罪が生まれる懸念はない、と主張する。  果たしてどうだろうか。  賄賂30万円を受け取ったとして収賄罪で起訴され、3月に名古屋地裁で無罪とされた美濃加茂市長のケースを見ていると、あまり大丈夫ではないような気がする。  この事件で、贈賄を自白した業者Nは当初、融資詐欺で逮捕・起訴されていた。自治体の公印や契約書を偽造して10の金融機関から合計約4億円の融資をだまし取るという悪質なものだったが、その捜査の途中で贈収賄事件を自白。検察は、詐欺に関しては、2件2100万円分の起訴にとどめ、Nを市長を有罪にする最重要証人として活用した。  Nは知人に出した手紙の中で、「私の公判では、検察側は、一切難しい事や批判めいた事は言わないそうです。すんなり終わらせるそうです」とも書いてあり、執行猶予を期待する言葉も綴られていた。市長が逮捕され、贈収賄事件の強制捜査が始まった段階で、Nには弁護人がついていた。この弁護士は元検事。Nの手紙によれば、「私の弁護士と検事は知り合いです。色々と交渉してくれてる様です」とのこと。

弁護人と検察官の距離関係

 こんな風に、弁護人が検察官と極めて近しい関係にある場合、「合意」内容の真実性や妥当性について、弁護人が十分チェック機能を果たせるだろうか。それでなくても、密室の中で検察官と被疑者が合意に達した時に、そこにおらず、検察側の証拠を見ているわけでもない弁護人が、妥当性を正しく判断できるのか、非常に心許ない、というのに……。  美濃加茂市長に対する判決で、裁判所はN証言の問題を縷々指摘し、「詐欺事件の処分を軽くするため、捜査機関の関心を他の重大事件に向けたり、意向に沿う行動に出たりすることは十分あり得る」として退けた。N証言は虚偽との判断だ。  検察側は控訴しているが、無罪が確定しても、検察がN証言を虚偽と認めることはあるまい。  今でも、法廷で虚偽の証言をした場合には、偽証罪の制裁はある。けれども、検察側証人となった者が、事実に反する証言をしたからといって、偽証罪に問われた例を、私は聞いたことがない。そうしたケースがないのは、偽証を認めれば、検察はそれに基づいて行った自分たちの起訴や公判活動が間違っていたことも認めざるをえなくなるからだろう。  検察が、自分たちの過ちを素直に認められない状況をそのままにして、「合意制度」に虚偽供述を罰する規定を作っても、あまり意味はないのではないか。  それでも、「裏取引があっても証拠に残らない現状より、取引の事実が裁判で明らかになる方がまし」と、「合意制度」を肯定的に評価する見方もある。取引があったことを顕在化させ、そのうえで証言の信用性を吟味した方が、裁判所の判断は誤りにくくなる、と考えるからだ。それはその通りだろう、と私も思う。ただ、そう考えるにしても、取り調べの録音・録画(可視化)をして、「合意」に至るまでに、不正なやりとりがないか、そのプロセスを透明化することは必要ではないか。

村木事件で暴かれた検察側ストーリーに沿った供述

 現在は厚生労働事務次官を務める村木厚子さんが巻き込まれた事件では、“共犯者”たちが、村木さんの関与を認める供述調書を作成している。不幸中の幸いで、重要証人が法廷でその調書を覆す証言としたが、捜査段階では検察側ストーリーに沿った供述をするよう、あの手この手が使われていた。  そのような取り調べの末に「合意」がなされ、弁護人もチェックできず、法廷でも虚偽供述が維持されたら……。このような事態は想定しておかなければならない。これを防ぐためには、可視化するしかないだろう。  今回の法案では、取り調べの可視化に関しても法制化がなされることになっている。しかし、その対象は裁判員対象事件と検察の独自捜査事件(いわゆる特捜事件)のみ。全事件の2%であり、「合意制度」の対象事件は可視化法制化の対象ではない。 「合意制度」を活用する可能性のある事件の被疑者の取り調べは、可視化するべきではないか。少なくとも、音声の録音だけでも行って、その「合意」が適切に行われたと示せるようにしておくべきだ。  司法取引的手法が、捜査に役立つことは、今回のFIFAでよく分かった。犯罪の手口が進化してくれば、新しい捜査手法も必要だろう。ただ、新しい制度を導入する時には、その弱点はできるだけ克服しておきたい。 「可視化なくして『合意』なし」——これを原則にして、日本版の司法取引をスタートさせて欲しい。【了】 注・美濃加茂市長の事件で、業者のNは、その後、市長の弁護人が融資詐欺の余罪を告発され、そのうち4000万円分が追加起訴されることになって、実刑判決を受けた。
【江川紹子(えがわ・しょうこ)】 1958年、東京都出身。早稲田大学政治経済学部卒。1982年〜87年まで神奈川新聞社に勤務。警察・裁判取材や連載企画などを担当した後、29歳で独立。1989年から本格的にオウム真理教についての取材を開始。「オウム真理教追跡2200日」(文藝春秋)、「勇気ってなんだろう」(岩波ジュニア新書)等、著書多数。菊池寛賞受賞。行刑改革会議、検察の在り方検討会議の各委員を経験。オペラ愛好家としても知られる。 記事提供:ムーラン (http://www.mulan.tokyo/) 新世代のビジネス・ウーマンのためのニュースサイト。「政策決定の現場である霞が関、永田町の動向ウォッチ/新しいビジョンを持つ成長途上の企業群が求める政策ニーズを発掘できるような情報/女性目線に立った、司法や経済ニュース」など、教養やビジネスセンスを磨き、キャリアアップできるような情報を提供している ※本記事の関連記事も掲載中 【江川紹子の事件簿】川崎市中一殺害事件 http://www.mulan.tokyo/article/33/
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