退職間近にタイ赴任、そのまま居続け成功した76歳日本人
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「タイは軍鶏の故郷とはいっても、ブロイラーと違って成長が遅いから採算が合わないんだよ。タイでも市場に出回っているほとんどの鶏肉がブロイラー。地鶏と謳っている店もよほどのコネクションがない限りは怪しいね」
田中氏が経営する農園は牧場などで感じるような糞尿の臭いが驚くほどしない。鶏小屋には全部で5000羽もいるが、土の上で飼い、微生物を散布することで自然と病気がなくなるという。
掃除などの効率も考えて地面をコンクリートにしてしまう養鶏施設も多いが、田中氏はこれは間違いだと指摘する。これは一見清潔だが、水や薬品で洗い流された病原菌がコンクリの下に溜まり、あるとき重大な病気を引き起こすというのだ。そのため、この農園では2005年にタイでも猛威をふるった鳥インフルエンザとも無縁だった。
最近はタイ東北地方では当たり前に食され、日本でも健康食材として注目を集め始めているモリンガ(ワザビノキ)の栽培にも着手している。タイでは恐らく一番最初に商品化したのが田中社長だろう。76歳にしてこのパワー。見習わなければならない。<取材・文・撮影/高田胤臣>
タイは物価も安く、タイ政府も日本の年金生活者を受け入れるために年金受給者用のビザやロングステイ・ビザを設けている。
そのため、在タイ日本人は若い世代だけでなく、高齢者も少なくない。
そんな中、働き盛りのころから数十年もタイにいるという高齢者も多い。おもしろいのは、そういった人たちは今の若者よりも何倍もバイタリティーがあり、ユーモアに溢れ、人生とタイを満喫している点だ。
バンコクなどで地鶏料理を提供する日本料理レストラン『黒田』の社長もまたそんな元気なご老人のひとりだ。お名前は田中鴻志氏、福岡出身の76歳だ。在タイ歴も約30年になる。
田中氏は、以前は福岡県農業協同組合中央会の職員だった。50歳を前に国際協力機構(JICA)のタイ農業振興プロジェクトでタイの東北地方の玄関口、ナコンラーチャシマー県に農業を教えにやって来たのである。
「5年して帰任というころはもう間もなく定年だからね。日本側が帰ってきても困るなあという空気がすごかった。だから、そのまま帰らなかった」と豪快に笑う。
田中社長は早速、赴任中に知り合ったナコンラーチャシーマーのある村の有力者と共同で8ヘクタールの土地を買い、農園を始めた。それからしばらくして2000年前後にナコンラーチャシマー市街地とバンコクにレストランを構えた。今では奥さんや息子たちも日本からバンコクにやってきてレストラン経営をサポートしている。
田中氏に会ってみて感心してしまうのは、農業や畜産業に関する膨大な知識だ。失礼だが、その年齢では昔の農業の知識しかないのではないかと思っていたところ、最新の情報もくまなく勉強されていた。専門用語やカタカナ語もすらすらと出てくるので、気をつけないとすぐに会話についていけなくなるほどだった。
実際に農園にも足を運んでみた。従業員は地元の村人約60人で、これといって産業のない村の働き口になっている。農園はタイの地鶏の軍鶏や黒豚、野菜などを育てるほか、数店舗あるレストランに出す食材のセントラルキッチンも兼ねている。
(Twitter ID:@NatureNENEAM)
たかだたねおみ●タイ在住のライター。最新刊に『亜細亜熱帯怪談』(高田胤臣著・丸山ゴンザレス監修・晶文社)がある。他に『バンコクアソビ』(イースト・プレス)など
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