イスラム国人質「自己責任論」はいかに語られてきたのか?

 中高時代に開高健の小説やエッセイを貪り読み、開高がベトナム戦争で体験した従軍記者という仕事に憧れたこともあるからだろうか。後藤健二氏の件では、かなりやられた。

 日付が1月31日にかわって数十分後、IS(「イスラム国」)に拘束されていたフリージャーナリストの後藤氏と思われる男性の殺害情報がツイッター上に流れてきた。たまたま動画リンクが目に入り、反射的にクリック。心臓をバクバク鳴らせながら、パソコン画面を凝視した。見終わると、自己コントロール不可能な怒りがこみあげ、そのまま昼近くまで眠れなかった。

 あの怒りは、後藤氏と思われる男性の首をナイフで切り落としたISに対するものとは少し違った。蛮行を犯した主体がどこの何であれ、イデオロギーや組織の論理が個人の命を奪うこと自体に、筆者は強い憤りを覚えるたちなのだ。

 あれから1週間が過ぎ、さすがに感情は落ち着いている。この人質殺害事件については、じつに様々な意見が今でも飛び交っている。その中でも話題がつきない「自己責任論」について、目についたテキストを拾い集めておきたい。

 ISがオレンジ色の服をまとわせた人質2人の映像と脅迫の音声をネットで公開したのは、1月20日のことだった。その直後からお決まりのように匿名、実名の日本人による「自己責任論」がネット上に湧いてきたのだが、1月29日には、そうした書きこみをする者でもなかなか口にできないもの言いを、デヴィ夫人ことラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ氏が自身のブログに<大それたことをした 湯川さんと 後藤記者>という見出しで投稿した。

 方々で引用された箇所を含めて、その一部を抜粋する。

<不謹慎ではありますが、後藤さんに話すことが出来たらいっそ自決してほしいと言いたい。私が彼の母親だったらそう言います。我が子を英雄にする為にも・・・>

<湯川さんと後藤さんこの二人の日本人の為、ヨルダンを巻き込み、世界までも巻き込んだイスラム国との人質交換解放大事件!! イスラム国は日本の国民感情を利用し、アメリカ同盟国ヨルダンにゆさぶりをかけているのです。冷静に考えたらこの二人が私情でどれだけ国家と国民に迷惑をかけたか、それを知るべきではないでしょうか?>

 インドネシアのスカルノ元大統領第3夫人だった彼女は、自由すぎる言動が笑える人として重宝されているテレビタレントだ。放言や失言は飯のタネ。だが、人質2人を迷惑だとし、後藤氏にはいわば「自己責任」として自決すら求める(かのように読める表現をする)とは恐れ入った。これはデヴィ・バッシング必至だろうと筆者は思った。ところが、ブログ投稿に対するフェイスブックの「いいね!」が猛烈な勢いで増え、その現象のほうがニュースとなった。

 この原稿の執筆段階では、「いいね!」のカウンターは「2万」を記録している。日本人の「自己責任論」は、今回の事件で、何か一線を越えたのだろうか?

 人材コンサルタントの城繁幸氏は、「29歳の働く君へ」というWeb連載で、<そもそも日本人って、そんな自主独立の気風に満ちた国民性でしたっけ?>と首を傾げる。

<イラク人質事件の際もそうだったが、なぜ日本人はこうした危機に際しての自己責任論が大好きなのだろうか? 結論から言えば、日本人の多くが21世紀の今でも「村人」だから、というのが筆者の意見だ>

 江戸時代の農民だったら、人質になった2人のような者は、<「畑仕事もせずに危ないところをほっつき歩いて山賊に捕まった奴が悪い」>と言われただろうと喩える。そして、<共同体である村への奉仕をせず保護だけ求めるのは悪だからだ。現代日本も彼とそっくり同じことを言う人間であふれかえっている>とし、<人事制度でも、終身雇用色の強い企業ほど、社風は自己責任論が強いように思う>と指摘する。

 城氏と同様に日本人の非近代的な体質を批判するのは、『若者は本当に右傾化しているのか』などの著書がある評論家の古谷経衡氏だ。氏は、コラム<「自己責任論」で中世に退行する日本>で、次のように綴る。

<今回の誘拐事件で、「自己責任論」を高らかに言うのは、所謂「保守系」と目されるネット上の勢力が根強い。彼らの言い分は、「国家の税金によって、身勝手な連中を助ける必要はない」という意見に集約されている。どれほど身勝手で不純な動機だろうと、同胞であるかぎり死力を尽くして助けるのが国民国家の原則であるのは、明治冒頭の台湾出兵の事実で明らかだっただろう>

 たしかに、「自己責任論」を振り回す連中は時代錯誤的で野蛮に見える。江戸時代や中世の日本人が野蛮だったかはともかく、現代の日本人はもっと穏健ではなかったかという思いがあるから、今回の騒ぎはなんとも解せない。

 では、なぜ最近の日本人は野蛮化したのだろうか。上記2氏の論考はその「なぜ?」をあまり追究していなかったが、ネットニュース界の新左翼と筆者が思っているリテラは、<日本人はなぜ「自己責任論」にはまるのか? 仕掛けられた政治の“罠”>で、そこにズバリ斬りこんだ。

<自己責任論は想像力をもたない愚かしい者の放言――そう言っても間違いはないが、指摘しておきたいのは、自己責任論の根底には、民衆が無意識のうちにすり込まれている巧妙な政治的意図がある、ということだ>

 ちょっと思想が強めに入っている気がするけれど、どんな政治的意図が働いたのだろう。

<日本において自己責任論がここまで幅をきかせるようになったきっかけは、「新自由主義」思想に基づいて小泉政権が断行した構造改革にある。新自由主義とは<<景気を回復し、グローバル競争にうち勝つためには、長期不況の原因となっていた過剰な「規制」と「保護」を構造改革によって打破し、競争主義を徹底する必要がある>>というもの。すでに知っているように、この構造改革は大量の失業者を生み、非正規雇用労働者を増大させた大きな要因となったが、同時に、「すべては自己責任」という風潮もつくりあげた>

 やはり反新自由主義という思想がしっかり入っていた。それはそれで一つの見方だとしても、すべては小泉政権以降の日本政府による民衆の洗脳だ、と断定口調で言われてしまうと筆者はついていけなくなる。少なくともデヴィ・スカルノ氏の<我が子を英雄にする為にも><自決してほしい>だなんて発想は非合理的すぎて、新自由主義の問題とは次元が異なるだろう。

 筆者が探し回った限り、もっとも納得値が高い論考は、日経ビジネスオンラインの看板連載でコラムニストの小田嶋隆氏が書いた<他人の勇気は「自己責任」>だった。氏は以前から「自己責任論」に対する違和感を題材にしているが、今回はこんな角度からもその思いを言葉にする。

<私が以前から抱いている違和感は、「人命」や「基本的人権」のような、民主主義社会の根幹を支えていることになっているかけがえのない「建前」に対して、あけすけな「本音」(←「死ねよ」とか「税金の無駄だろw」とか「ざまあ」とか)がぶつけられている現状に向けられたものだ>

 そして、こう言う。

<このこと(露悪的な「本音」の増殖)は、インターネットが普及して、人々が大量の「他人の本音」に触れる機会を持ったことと無縁ではない>

<ネット社会の出現によって、そうした露悪的で扇情的な「本音」が万人に向けて公開される場が確保されてみると、それらの膨大な量の「本音」は、「これまでおもてだって語られていなかっただけで、本当は誰もが心のうちにあたためていた言葉」であることを認められ、匿名のネット市民の間の共有財産として、無視できない影響力を発揮するようになる。かくして、「本音」は、「いけ好かない偽善者どもの眉をひそめさせる痛快至極な真実」として、確固たる市民権を獲得するに至る>

 そう、「自己責任論」者は偽善を嫌う。嫌うだけでなく、生贄を見つけてはここぞと罵倒してカタルシスを覚える露悪を好む。その陰気な情動はいつの時代も一定量、我々の社会が抱えてきたものだと思うが、小田嶋論考はそれがネットの普及で容易に可視化されるようになったというお話だ。たしかに、イラクの人質事件で「自己責任」が流行語になったのも2004年。すでにブロードバンドが普及していた。たぶんこの話がでかいのだ。

 ただし、である。そのネットで可視化されるものは「自己責任論」ばかりではない、という事実を付記しておきたい。

 例えば、後藤氏と思われる男性の殺害動画を目にしてから約12時間。筆者は「こんなのおかしいだろ?おかしいだろ?」という感情が抑えきれずに、ヤフーリアルタイムに関連する単語を次々と打ちこんでは、ネット民たちの反応を見続けていた。

 正直、興奮していたのでざっくりとした記憶でしかないが、「事件」を知った人々の書きこみでもっとも多かったのは「えっ、まさか」「信じられない」「怖い」といった、ごくごく自然な反応だった。全体の九割方はそういうものだった。次に多かったのは、安倍政権批判と安倍政権批判への批判。その次に目立ったのは、「落ち着け」「動画も拡散をやめよう」という呼びかけであった。

 あの時、「ざまあ」のような「本音」は、めったに見かけなかったのである。おかげで筆者は怒りを爆発させずに済んだ。ヒトゴトと突き放せない真に切迫した場面では、人は露悪的に振る舞う余裕もなくなるようなのだ。むしろ善意のほうが広がりやすい。そうなんだと思えて、ようやく寝る気になれたのだった。

「自己責任論」を言う人が増えてきたかのように見える。しかし、その火がつけられた先から消しにかかる人も大勢いるという印象が強い。時代は悪い方へばかり流れているわけではないと思う。

<文/オバタカズユキ

おばた・かずゆき/フリーライター、コラムニスト。1964年東京都生まれ。大学卒業後、一瞬の出版社勤務を経て、1989年より文筆業に。著書に『大学図鑑!』(ダイヤモンド社、監修)、『何のために働くか』(幻冬舎文庫)、『大手を蹴った若者が集まる知る人ぞ知る会社』(朝日新聞出版)などがある。裏方として制作に携わった本には『大学キャリアセンターのぶっちゃけ話』(ソフトバンク新書)、『統合失調症がやってきた』(イースト・プレス)などがある。


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