漫画『進撃の巨人』で政治のエッセンスを。 良質なエンターテイメントは「政治離れ」の処方箋

「マーレ編」から読み取れる政治のメタファ

 海の向こう側に存在することが判明した“マーレ国”には、マーレ人と、主人公たちと同じ民族であるエルディア人が住んでいた。マーレ国ではエルディア人は「被差別民族」として扱われており、高い壁に囲まれた「収容区」に住むことを強制されていた。許可なく収容区の外に出たエルディア人は、マーレ人たちから罵声を浴びせられたり、時には虐殺されたりすることまであった。  エルディア人がマーレ国で「差別」を受けている理由は二つある。一つは、エルディア人に巨人になる能力が潜在していること、もう一つは、エルディア人がその巨人の能力を利用し、世界各国を支配してきた過去を持つためだ。現在の強国であるマーレはエルディア人を支配下におき、その巨人の能力を利用して世界各国に「戦争」を仕掛けていた。  マーレ国に住むエルディア人の一部は、その戦争に積極的に協力した。マーレ国から「名誉マーレ人」の称号を得るためだ。名誉マーレ人となったエルディア人は、家族ともども国内で自由に暮らす権利を手にする。物語の序盤で主人公たちと共に巨人に立ち向かった兵士のうち数名は、名誉マーレ人の称号を得るべくマーレ軍戦士となり、主人公たちの住む島“パラディ島”に潜入したスパイだった。マーレ国は兵力と資源を強奪するため、パラディ島にスパイを送っていたのだ。  マーレ編はそのスパイの一人がマーレに帰国するところから始まる。彼の次の任務は、“中東連合”との戦争だ。戦地では、マーレ人とエルディア人、そして、巨人化したエルディア人が、近代的な兵器を駆使する敵軍と交戦していた。そこでの戦いは、パラディ島での任務よりずっと過酷なものに見えた。  中東連合との戦争に辛くも勝利したマーレ国は、軍事力の増強の必要性を痛感し、パラディ島の兵力と資源を奪う作戦を本格化させる。マーレ国幹部は世界を扇動し、パラディ島に総攻撃をかけるべく“宣戦布告”するが、マーレ国に潜入していたパラディ島側のエルディア人たちから急襲を受ける。そのようにして物語は、パラディ島と世界の国々の存亡を賭けた最終戦に突入していく…。  以上はマーレ編の基本的な設定とストーリーだが、この中に沢山の政治要素が現れたことに気づくだろう。エルディア人が閉じ込められている「収容区」は、まるでナチス・ドイツ時代にユダヤ人たちが強制収容された「ゲットー」のようだし、マーレ国でエルディア人たちが受ける「差別」は、ナチス・ドイツがユダヤ人に対して行った差別政策に似ている。

仮想体験する差別の過酷や悪政下の不条理

 「名誉マーレ人」は、ナチス・ドイツが一部のユダヤ人等に与えた称号である“名誉アーリア人”や、人種隔離政策アパルトヘイト下の南アフリカで一部の有色人種に与えられた称号“名誉白人”をモチーフにしたものだろう。また、エルディア人が複数の国に分断されて生き、敵対する様は、南北朝鮮や冷戦下の東西ドイツを思い起こさせる。  このような設定のもとで描かれる主要人物とその家族たちの暮らしや生い立ちのエピソードには身につまされるものが多く、政治による差別の過酷さや不条理を“身に染みる”ほどに仮想経験させてくれる。不用意に物語に没入していると鬱になりそうになるほどだ(深みにはまり過ぎないよう気をつけよう)。  “宣戦布告”後にはパラディ島側とマーレ国側のエルディア人たちが交わり、衝突する様が繰り返し描かれるが、マーレ国で戦士候補として育てられ、パラディ島に潜入した少女が、幼き日に母親を巨人に食い殺されたパラディ島の少女と交わす会話は、戦いに関わっていない世代の人々にまで深刻な禍根を残す「戦争」の罪深さ、不条理さを鮮やかに表している。  作者は以上のような諸々の政治要素を、難解な表現を用いず、日常的で平易な言葉で描き、読ませていく。そのため読者は、堅苦しさや説教臭さを感じることなく政治的なエピソードに没入することができるのだ。  本作に登場した政治要素に興味を持った読者は、元ネタと思われる歴史的な物事について調べてみるのもよいだろう。実は筆者自身も、本作を読みながらナチス・ドイツ時代のゲットーや「ヒトラー・ユーゲント」などについて調べてみたりした。後者のことを調べたのは、マーレ国の兵士に子供が多く登場するためだ。ヒトラー・ユーゲントとは、ナチスが組織した少年兵団のことなのだ。  『進撃の巨人』は4月9日、別冊少年マガジン5月号に掲載された第139話をもって完結した。本稿で紹介したのは、同作の魅力のうちのほんの一部にすぎない。作品の全貌はぜひ、原作を読んで味わってみてほしい(残酷なシーンが多い作品であるため、やや読者を選ぶところはあるが)。  最後に、本作のクライマックスでちょっと残念に感じた点について書いておきたい。筆者にとって残念だった点は二つある。一つは、物語の最終盤で少年漫画的なドタバタ展開が目立ったこと。もう一つは、主人公が最期に大虐殺を行ったにもかかわらず、フワッとしたハッピーエンド的な雰囲気で物語が完結してしまったことだ。とりわけ後者は、人間ドラマを丁寧に描いてきた『進撃の巨人』らしくないなと感じた。  主人公の大暴走により大虐殺を行った側となったパラディ島は、世界中の国々から極めて強い恨みを買うはずだし、最終戦で巨人化の能力が消えて無くなったとはいえ、人類の歴史から察するに、エルディア人への差別は今後も延々と続くはずだ。しかし、最終話ではそれらの重苦しい要素には触れられず、フワッとした雰囲気のままで終わってしまった。そんなぬるいエンディングは、どうも本作には似つかわしくない。  そんな終わり方をした裏には、もしかすると、少年誌なりの事情や、大ヒット作なりの事情があったのかもしれない。一つ筆者の希望を言わせてもらうと、クライマックスを諫山創氏の思うままに、全力で描きなおした改訂版を、いつか独立した単行本として発表してもらいたい。『進撃の巨人』は、それが許されるだけの名作であろう。 <文/井田 真人>
いだまさと● Twitter ID:@miakiza20100906。2017年4月に日本原子力研究開発機構J-PARCセンター(研究副主幹)を自主退職し、フリーに。J-PARCセンター在職中は、陽子加速器を利用した大強度中性子源の研究開発に携わる。専門はシミュレーション物理学、流体力学、超音波医工学、中性子源施設開発、原子力工学。
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