あきれるほど薄っぺらな上に見当違いな古谷経衡の「日本会議」論に反論する

日本会議という「芸能事務所」

 自身がネトウヨであった経験を持つ古谷経衡氏は、古巣の「チャンネル桜」の思い出話をよくされる。彼にとって、「チャンネル桜」周辺で見かけた光景こそが、「保守論壇」の光景なのだろう。しかし古本屋で古書を発掘し国会図書館で保守論壇誌のバックナンバーを読み込み古老に話を聞き、各種右翼団体の開催する勉強会やイベントに参加し、永田町周辺で蠢く魑魅魍魎のような山師・フィクサー・大金持ちの類から話を聞いて歩く…という幅の狭い経験しかないためか、私には、「日本会議が本腰を入れて取り組んだ運動が、古臭い手法にもかわらず成功を収めた」という事例はいくらでも目につくのだが、「チャンネル桜周辺で話題になったものが、政策化された事例」に思い当たる節はない。  おそらくこれは、古谷経衡氏と菅野完の見える光景の違いだろう。私のようなものには、スタジオのスポットライトの当たる場所から見える光景には、想像が及ばない。その代わり、スタジオの裏がきになる。なぜ、日本会議の事務局を務める日本青年協議会でその機関紙の編集長を務めていた経歴以外めぼしい経歴のない江崎道朗氏が、チャンネル桜であんなに起用されたのか。なぜ、突如、日本青年協議会と同じく「生長の家学生運動」にその起源を持つ日本政策研究センターに所属していた濱口和久氏が「危機管理のプロ」としてチャンネル桜に登場しいきなり冠番組を持つようになったのか。なぜ、かつて水島総は自身が司会を務めるコーナーのタイトルを日本会議の機関紙のタイトルと全く同じ「日本の息吹」と名付けたのか。なぜ、チャンネル桜草創期の歴史番組の解説者が名越二荒之助だったのか。なぜ、チャンネル桜草創期には、すぎやまこういちだけでなく、長谷川三千子も関与しているのかなどなど…「日本会議関係者」と表立って名乗っていないのに、その実、日本会議のメンバーであったりその事務局を務める極右団体の幹部であったりする人たちがある種の「仮面」をかぶってチャンネル桜に出演し続けた/し続けている事例の方が、私には気になって仕方ない。  あるいは、なぜ産経新聞の論壇コーナーの「正論」執筆陣は日本会議のイベントに出る人ばかりなのか、なぜ日本会議・日本政策研究センター・日本青年協議会の機関紙への寄稿実績しかないような人物が、突如、WiLLやHanadaで連載を持ち始め「保守論壇人」として大きな顔をしだすのか。なぜ、百田尚樹、ケントギルバード、高須克弥など元来の著名人でも、「保守論壇人デビュー」の前に必ず通過儀礼のように日本会議のイベントに出席しているかなどなど…、チャンネル桜なる小さい囲いを超越した世界でも、私には舞台の裏が気になって仕方ない。  おそらくこうして舞台裏が気になるのは、菅野完が地を這うコソ泥だからに違いない。それぞれ各人の革靴の底、草履の裏、ズボンの裾にこびりついた泥の色が同じであることに気を取られてしまうのも、舞台の上で華麗なるステップを踏む人々の踊りに合わせて奏でられる楽曲がなぜか同じ作曲家のものであることにこそ気を取られてしまうのも、その所以だろう。  しかしその場所から見れば、あたかも、日本会議は、保守業界という業界に君臨する芸能事務所のように見える。大阪の民放における某芸能事務所、アイドル業界における某芸能事務所のように見えるのだ。「なーんだ。違うジャンルの違う芸事のように見えるけど、プロデューサーさんもマネージャーさんもトレーナーさんも一緒じゃん」と。

ネトウヨ200万人が踊る「オタ芸」の振付師は誰か

 冒頭に引用したように、日本会議なんぞ小さい組織である。古谷経衡氏の言うように、ネトウヨ二百万票に比べるべくもないだろう。そこに異論はない。日本会議には、3年に一度の参議院選挙で3議席ずつ当選させる組織力しかない(1回の参院選あたり3議席である。その点古谷経衡氏が行った数量分析は1議席しか想定しておらずデータ解析として失当であることを申し添えておく)。しかし、集票力と「アジェンダ設定能力」は別だ。そして「市民運動遂行能力」は別だ。私が『日本会議の研究』をはじめとする一連の著作の中で、「日本会議の強さ」として強調したのはそこにある。  確かに、ネトウヨ200万票なのだろう。その200万が足並みを揃えて投票行動を行うとは考えにくいが、しかし、そこに教科書、尖閣、「慰安婦」、夫婦別姓、女性・女系天皇などなどの「なんとはなくの、通奏低音のような、共通のアジェンダ」は存在している。私の拘りたいのはそこなのだ。拙著で指摘したのはそこなのだ。 誰がそのアジェンダを設定するのか。 誰がそのアジェンダに対する論調を作るのか。 誰がそのアジェンダを市民運動化するのか。  そこに私は、拘っている。そしてその点における日本会議を中心とした、「一群の人々」の老獪さと熟練さを見てとり、恐れ慄いている。  例えて言えば、オタ芸のようなものだ。古谷経衡氏は安楽椅子に座り「こちらの方が大きい」としているネトウヨ200万人は、オタ芸を踊っている。その踊りは確かに壮観なのであろう。しかし、そのオタ芸の振り付けを考えたのは誰なのか。どの曲でどう踊るかを設定したのは誰なのか。そして、なぜ他のコンサート会場でも、全く違うアイドルグループなのに、同じようなオタ芸が見られるのか。私は、200万人のネトウヨがオタ芸を踊る壮観さに目を奪われたりしない。そんなことは誰でもできる。少なくとも書き屋のすることではない。私は、オタ芸の大人数さや華麗さではなく、振り付けの共通点を見つけ、共通の振付師が誰かを探り当て、なぜその振り付けになったかばかりが気になる。そしてそこにある種の「意図」を見てとり、その「意図」を繰り返し運動化し、その運動をことごとく成功に導いている「一群の人々」=日本会議の中枢を担う生長の家原理主義者たちの存在に気づき、それを本にした。  しかし残念ながら、私が『日本会議の研究』に込めた「日本会議は小さい。が、能力はずば抜けている」とのメッセージは古谷経衡氏に届かなかったようである。もし届いていたら、そもそもあの判決を見て、「あ!神社本庁だ!だから日本会議について書いちゃえ!」などという幼稚な発想にならなかっただろう。  古谷経衡氏の当該論考は、拙著に対する誤読に基づいている。その誤読を責めるのは可哀想ではある。古谷経衡氏にはこれからも、「自分の思い出の語り部」として頑張ってもらいたい。しかし私は、思い出などに浸っている時間はない。これからもあの100ページ近い判決文に出てくる個人や企業と取材を重ねねばならないし、なにより、神社本庁にしても日本会議にしても、大量の文書を発行する人々であるから、大量の資料を読みこまねばならない。「ネット全盛時代だからさぁ」などと言っている暇はないのである。  さて、現場だ。コタツに居ながらにして書く原稿など、私にはないのである。 <文/菅野完>
すがのたもつ●本サイトの連載、「草の根保守の蠢動」をまとめた新書『日本会議の研究』(扶桑社新書)は第一回大宅壮一メモリアル日本ノンフィクション大賞読者賞に選ばれるなど世間を揺るがせた。メルマガ「菅野完リポート」や月刊誌「ゲゼルシャフト」(sugano.shop)も注目されている
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