トップクリエイターが差別的センスを持っている広告業界
問題の第二点は、芸を理解していないトンチンカンな人間が、大会演出の統括という重要ポストについていたことです。これは驚くべきことです。オリ・パラリンピック開閉会式の統括といえば、日本の広告クリエーターとしても首席に位置する人でしょう。人びとが何に共感を寄せているかを日夜研究しているはずの広告業のプロの首席が、このトンチンカン、という。
問題は佐々木氏の個人的な資質の問題ではありません。広告業の世界でしのぎをけずり生き残ってきたチャンピオンが、このありさま。ということから予想されるのは、広告業界ではこういうセンスの人が淘汰されず、反対に、このような差別的なセンスの持ち主でなければ生き残ることができない構造があったのだろうということです。差別表現や低俗さ、不正への寛容な態度、文化教養にたいする排他的な態度が、広告業に属する人びとの一般的な規則になっているのではないか。一発かまして話題になればいいという刹那的な態度が、出世のための基本的な資質となっているのではないか。そんな想像をすると、とても寒々しい気持ちになります。
オリ・パラリンピックの開閉会式の演出統括が、こうした貧しい構造の産物であったかもしれないことは、よく考えてみれば、驚くべきことではないのでしょう。さらに考えてみると、この貧しさはスポーツ大会にふさわしいものです。差別的で低俗で、不正に寛容で、文化に対し排他的な態度とは、スポーツ関係者にこそあてはまるものではないでしょうか。
スポーツマンは本当に非情です。オリンピック招致をめぐる贈収賄疑惑が公になっても、スポーツ関係者から問題を追及する声は出てきません。新国立競技場の建設現場で若い現場監督が過労死していても、スポーツ関係者は弔辞の一つも出しません。オリ・パラリンピックを支える余裕はないと医療関係者が悲鳴を上げていても、スポーツ関係者は我関せずです。およそ血の通った人間であれば、もう大会はやめようと言うべきところですが、数多いるスポーツマンたちはまったく沈黙しているのです。そういう反社会的な態度をとりながら、「ワンチーム! ワンチーム!」と呼びかけてくる。こんな非情な人たちに関わっていたら、命がいくつあっても足りません。オリ・パラリンピックに巻き込まれないように、一刻も早く東京から退避するべきだと思います。
<文/矢部史郎>
愛知県春日井市在住。その思考は、フェリックス・ガタリ、ジル・ドゥルーズ、アントニオ・ネグリ、パオロ・ヴィルノなど、フランス・イタリアの現代思想を基礎にしている。1990年代よりネオリベラリズム批判、管理社会批判を山の手緑らと行っている。ナショナリズムや男性中心主義への批判、大学問題なども論じている。ミニコミの編集・執筆などを経て,1990年代後半より、「現代思想」(青土社)、「文藝」(河出書房新社)などの思想誌・文芸誌などで執筆活動を行う。2006年には思想誌「VOL」(以文社)編集委員として同誌を立ち上げた。著書は無産大衆神髄(山の手緑との共著 河出書房新社、2001年)、愛と暴力の現代思想(山の手緑との共著 青土社、2006年)、原子力都市(以文社、2010年)、3・12の思想(以文社、2012年3月)など。