ここで、もう一度報道ステーションのCMを見てみよう。
まず冒頭に記した「どっかの政治家が『ジェンダー平等』とかってスローガン的にかかげてる時点で何それ時代遅れって感じ」というセリフは白々しいほどにポストフェミニズム的気分を表している。かえって、一般的には巧妙な言説が多く含まれるポストフェミニズムにしては、短絡的過ぎるといって良いほどだ。
これを前提として、最初に経済的な側面を見てみよう。まず気が付くのは、登場する女性自身のアイデンティティが労働者(保守的な言い方をすれば「キャリアウーマン」)として定義されているということだ。
その上で、冒頭の科白と、その前に来る「会社の先輩、産休あけて赤ちゃん連れてきてたんだけど、もうすっごいかわいくって」というセリフと組み合わせて考えると、「民間のジェンダー平等に対する努力と比較して政府の努力は遅れている」という批判と好意的な解釈ができなくもない。
とはいえ、これは「政府の介入なしに、民間つまり市場の競争に任せていればジェンダー平等は達成される」という
新自由主義的な楽観主義と裏腹だ。
また、「にしてもちょっと消費税高くなったよね。でも国の借金って減ってないよね?」という部分は国の借金を強調するという点で、
規制緩和や民営化を推し進める新自由主義と親和的だ。
次に、文化的な側面に注目する。この側面からは、「化粧水買っちゃったの。もうすっごいいいやつ」というセリフから、登場する女性自身のアイデンティティは消費者として定義されているということが着目できる。
その上で、「会社の先輩、産休あけて赤ちゃん連れてきてたんだけど、もうすっごいかわいくって」というセリフからは
女性は母性を持っているものだという観念の内面化が指摘できる。
さらに、「化粧水買っちゃったの。もうすっごいいいやつ」というセリフからは女性は容姿に投資するものだという観念の内面化が感じられる。これらは両方とも、女性自身の視線によって自己検閲される形での
女性性の強制が起こっていることを指し示している。
つまり、全体をまとめると、
新自由主義の政治経済体制を背景に、女性は都合の良い労働者/消費者として「活躍」しつつ、しかも女性性を主体的に体現しているべきだというポストフェミニズム的なメッセージが読み取れるのである。
もちろんこのCM作成者が狙ってポストフェミニズム的なメッセージを発した訳ではないだろう。それにしてはあまりにも短絡的な物言いだと思われるからだ。とはいえ、このようなメッセージがついうっかり世に出てきてしまうということは、
日本にもポストフェミニズムの風潮が深く根付いているということを示しているといえるだろう。
たしかに男性稼ぎ主モデルの時代と比べると、女性は「社会進出」しているかもしれない。だが、現在でも働く女性の約半分が非正規雇用という中で「女女格差」が開く一方、もう半分の正規雇用の女性たちも女性役割を押し付けられながら同時に男性並みに「活躍」することを求められて疲弊している。それだけではなく、ポストフェミニズムは個人主義を推し進め、わたしたちをバラバラに引き裂き分断する。
だから、そんな今こそ
フェミニズムの連帯が必要なのではないだろうか。雇用形態、階級、セクシュアリティ、人種、障碍など様々な違いを越えて、女性たちが互いをサポートすることが今求められている。
もちろん今回のCMは分かりやすい例だったから、誰もがその悪質性に気が付くことができた。だが、大抵のポストフェミニズムの言説はもっと巧妙だ。その巧妙な言説に騙されず、わたしたちは共に連帯していくべきだ。
【参考文献】
菊地夏野『日本のポストフェミニズム 「女子力」とネオリベラリズム』(大月書店)
早稲田文学会『早稲田文学 〈2019年冬号〉 シリーズ特集第1回:ポストフェミニズムからはじめる』(筑摩書房)
<文/川瀬みちる>