記者を縛る「読まれていない」という危機感<対談:松本創 x 上西充子>

新聞記者イメージ

Wellphoto / PIXTA(ピクスタ)

 政治によってさまざまに歪められた言葉は、今までもたびたび議論に上がってきた。「ご飯論法」などの不誠実な答弁や、言葉の定義の意味不明な書き換えなど、枚挙にいとまがない。  しかし、国会中継や政治家の答弁を注視する人々の間では、それを報じるメディアの「言葉遣い」にもまた不信感が高まっている。  そんな、政治を巡る報道に関して、一般市民が抱く疑問に多面的に切り込んだ新著『政治と報道』(扶桑社新書)の著者である上西教授が、国政以上に特定政党によるメディアコントロールが進んでいる大阪を主戦場として、鋭い論考を発表し続けているライターであり元神戸新聞記者である松本創氏と対談。前回に続き、後編では記者が所属する「組織」が直面している問題を中心に語っていただいた。

「読まれていない」という危機感

上西充子(以下、上西):昔のことはよくわからないけど、リクルート事件とかって連日追及しているようなときは、事後的にしか報じられないといった遠慮がある話ではなかったはずですよね? 松本創(以下、松本):一番大きいのはメディア状況の変化でしょう。ネットメディアに押され……というより、マスメディア自身がそれに合わせた変化を迫られている状況は、すごく大きいと思います。若い記者と話していると、新聞やテレビが見られていないという意識がすごくあって、読まれる・見られるためにはどうすればいいかという危機感を強く抱いている。  テレビなら視聴率、新聞ならさしあたりネット記事のPVでしょうか。自分たちがおかしいと思うことを批判や指摘しても、読まれなければどうしようもないじゃないか、ジャーナリズムだなんだと言っても支持されなければ、ただの独善であり、「えらそうにきれいごと言って」と反発されるだけじゃないか。多数に支持され、たくさんの人に届いてなんぼだ……と考える人も、これは年齢やキャリアにかかわらず少なくない。というか、一人の記者の中でも葛藤がある。  大阪の、特にテレビは維新に対して批判的に報じることはほとんどなく、吉村氏などはしょっちゅうテレビの、しかも情報バラエティ枠に出て、「すごい」「頑張ってる」と持ち上げられています。その影響もあるのか、維新は安定的な支持を得ている。支持されているということは需要がある、需要があるということは正しいという……。結局、マーケティングや多数決の論理、民主主義のある種の矛盾だと思うんですが、「人気があるから批判しない」「テレビに出てもらって好き放題にしゃべらせる」では報道と言えないし、政治なんて扱えない。  そういう状況をおかしいと感じている新聞やテレビの関係者もいるにはいるんですが、大きな流れにはなかなか抗えない。そういう意味で、リクルート事件のような「新聞だけが強かった時代」とは、状況がまったく異なります。 上西:けれども、きちんと書いているものは読まれるんじゃないかと思うんですけど。 松本:そうですよね。そうあってほしいと思いますし、そう信じてやるしかない。前編で毎日新聞の「大阪市4分割試算」報道の話が出ましたが、まさに住民投票で賛否を問われている渦中で決定的に重要なことを書くと、インパクトが非常に大きい。「都構想」否決の理由は、もちろんそれだけじゃないでしょうが、大きな要因の一つにはなったと思います。  だからこそ維新の人たちは、いまだに「毎日新聞の捏造報道で負けた」と言い続け、その情報を出した財政局の人間はみんな処分されたわけです。上西先生がおっしゃるように、市民の判断が迫られている時に市民が知っておくべき情報を出すのは、極めて重要なことだと思います。

「新聞社」という組織の事情

上西:総理の番記者とかは、なんであんなに若手の人を張り付けるんだという話もあるでしょう? もっとベテランを張り付ければいいじゃないかと。 松本:あれは記者教育として、最高権力者に張り付けておくと、首相の動静がわかる。どんな人間が出入りし、どういう動きで物事が進んでいくかが理解できるので、それを最初に学ばせるためだというふうに言われてますね。 上西:そうそう。朝から晩まで張り付くからけっこう体力も必要とか。でも、そうやって朝から晩まで見ている人のほかにエントランスで会見の質問をする人は、もうちょっと中堅の人を当てるとかできないのかと。 松本:僕もそう思います。大阪の市政・府政でも同じで、担当記者が長くても2年とかでコロコロ変わっていくので、すごく若いんですよね。橋下氏の時代から維新をウォッチしているベテランもいるんですけど、彼らはだいたい社の中でデスクや管理職の立場になり、現場には出てこない。現場の人は若いので、政治家の発言の背景や経年的な推移はそこまで理解が深くなく、結局「お気持ちを」「受け止めを」みたいな質問になってしまうところはあると思います。そんなに重要な取材対象ならば、おっしゃるようにベテランのおじさん記者を、毎日じゃなくてもポイントで投入すればいいのにと思う。 上西:ぶら下がり取材にしても、たまたま答えてくれるわけではなくて「今日は応じるよ」と、予めわかっているわけでしょう? であればそこの質問だけでもある程度キャリアのある人を当てたらどうかなと思うんですけどね。  『はりぼて』という映画を観たんですが、記者二人が切り込んでいくシーンがあるんです。あの人たちも最初は向こうの言うことに納得しちゃいそうになってしまう。けれどもちゃんと調べてみると向こうの言い分が誤魔化していることがわかって……というようなくだりがあるんです。わかっていくと質問の仕方も変わっていきますよね。単に相手の声を拾えばいいというのではなくて、核心をついた質問をして答えてなければもう1回更問いをして。そういうことは、それなりに問題意識と経験がないとできない。 松本:『はりぼて』は僕も観て、めちゃくちゃ面白かったです。彼らが独自に領収書を調べ、関係者に証言を取り、議員たちの不正を明らかにしていくわけですけど、そこであらためて思ったのは、会見というのは数ある取材手法の一つであって、もちろん重要ではあるんですけど、それ以外の取材の方が、より重要なんじゃないかと。  例えばコロナ対応で、維新の首長が市民病院をコロナ専門病院にしたと胸を張ってますけど、現場の医療関係者や患者に聞いたら、とんでもない混乱を巻き起こしていて、退職者が大勢出ているらしい。そういう現場で得た証言や根拠を、会見に臨む記者が持っていれば、もっと強く、自信を持って聞けると思うんです。  会見のその場のやり取りだけで何かを指摘したり、間違いだと言ったりするのは難しいですよね。権力者が力強く断言するのを漫然と聞いていると「そうなのか」と雰囲気に飲まれ、説得されてしまう。「違いますよ、現場で聞いてきたけどそうじゃなかった」と言えるファクトを記者の側が持っていないと。  先ほど言った「現場がない」問題に通じるんですけども、会見は確かに重要ですが、会見だけが取材じゃない。だから、質疑応答のやり取りだけにメディアの問題を見出すのは、僕はちょっと違和感があるんですね。 上西:若手一人でついていないで複数で交代しながら担当して、総理番についていないときには外にも出ていくとか同時並行ではできないんですかね? 松本:それは各社の人繰りの問題もあるし、どうなんでしょう。ただ、政治部文化というか、政治取材のイロハはここで学んで、次は野党担当をして、やがてキャップになって……といった固定観念はまだまだ強く、それに伴う取材スタンスも同様に変わらないものがあるのかもしれません。  朝日新聞の元官邸キャップが政治部の記者教育について語っていたのですが、「政治家にはとことん食い込め。何を考えているか、手に取るようにわかるまでになれ」と教わったと。しかし、「その政治家が何か誤った、正しくないことをしていたら後ろからバッサリ斬りつけろ。それで、この記者に切られるなら本望だと言われるぐらいになれ」と言うんですね。いや、そんなこと本当にできるのか、と。それだけ食い込めば、視点や価値観を相手と同一化してしまって、問題を問題とも思わなくなるでしょう。  大昔の話ですが、渡辺恒雄氏が派閥の担当記者だった時代は、彼が派閥幹部の側にいて、新しく担当になった記者を品定めするようなことがあったそうで、その時代から、いかに政治家に気に入られ、深く「食い込む」かが大事で、そこで情報を取れるかどうかが決まるという発想は変わっていないのでしょうね。それは、政治取材に限らず、警察や検察に対しても同じで、記者の役割や、どこに軸足を置くのかということに関わってくると思います。  そう考えてみると、内部から変わっていくのはなかなか難しくて、先生の新著のように、外部からどんどん疑問や批判を投げ掛けていったほうがいいと思います。マスメディアには厳しい目を注ぎ、大いに批判をすればいい。ただし、そのベースには、「あなたたちがジャーナリズムとしてしっかりしないと大変なことになるよ。記者が踏ん張ってくれないと民主主義は守られていかないんだよ」という、応援や期待感を込めてほしい。「マスゴミ潰れろ」「ネットで十分」みたいな感情的批判をする人もいますが、そういうのは百害あって一利なしだから、やめた方がいい。マスメディアがなくなると困るのは市民なんですから。 上西:そう、だから社説とかはけっこう本来あるべきところを論じるじゃないですか。ああいうのを見ていると、「新聞社がちゃんと見てるし問題があったら報じてくれるから大丈夫だろう」とある種安心してしまう部分があって。でも実は安心できる状況じゃないなっていうのが、見れば見るほど思えてきてしまう。  やっぱり権力者に食い込むというと、じゃあ次はGO TOトラベルをいつ始めるか、いつ止めるかとか、そういう情報だけを取ってきてしまう。「それって今どうなの?」ってことを私たちが考えるうえで必要な情報を提供してくれなくなっちゃいますよね。  例えば「津波が押し寄せてきています。来てます来てます、到達しました、トラックが流されました」みたいなことを報じているようなものだと思うんですよ。本当はここに行ったらトラックが流されるのが見えるっていうのを掴むのが大事じゃなくて、津波が来そうだから逃げろってことを報じてほしいんですよね。権力に密着してできるだけ早くできるだけ詳細に情報をってなると、読者を置き去りにしてその状況を如何にリアルタイムで刻々と伝えるかみたいになっちゃう。それが大事じゃないだろうって思うんですけどね。 松本:論説や批評って、すごく大事な言論機関の機能だと思うんですが、時間もかかるし、経験や蓄積もいる。一方で「事実をありのままに、いち早く正確に伝える」という速報やニュース報道の機能もあって、そちらでは「客観報道」「中立公正」ということが厳しく言われる。時代とともに後者の速報主義ばかりが強まり、そうすると、記者個人の価値観や主張は横に置かれる。それよりとにかく取材対象に近づき、他が知らない情報をいち早く取れるかが大事になってくる。そういう文化の中で取材相手と飯を食い、ゴルフや麻雀をして、しかし情報を取っても書かない、みたいな記者が出てくるんじゃないでしょうか。さっき話した「思想がない」問題に当たると思います。  これは沖縄の琉球新報のデスクの言葉ですが、「何のために仕事をしているのか、なんで記者をやっているのか、そこが一番重要なんだ」と。彼は「沖縄を二度と戦争の島にしないためだ」と明確に言いますが、会社や勤務地や記者個々人によって、目的はさまざまでしょう。「社内で評価されて出世するため」という人もいるかもしれません。しかし、記者や報道の本来の責務というか、何を期待されているのかというところを見直せば、何をどう報じるべきか、おのずと見えてくると思うんですけどね。
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報道以外で生じる「しがらみ」
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【HBOL 編集部よりお知らせ】
上西先生による本サイト連載「政治と報道 報道不信の根源」が本になりました! 本連載及び上西先生による過去執筆記事を「政治と報道」をテーマに加筆・編纂。いまの国会で何が起きていて、それがどう報じられているのか? SNSなどで国会審議中継をウォッチしている人と、ニュースでしか政治を見ない人はなぜ認識が異なるのか? 政治部報道による問題点を、市民目線で検証しています。

政治と報道 報道不信の根源

統治のための報道ではない、市民のための報道に向けて 、政治報道への違和感を検証

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