差別発言辞任の森喜朗が、自著に綴った「五輪に賭ける熱い思い」から見える東京五輪の行く末

新国立競技場

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 現在、我が国は、菅義偉に貧乏と忍耐を強いられる菅支配の下、今日本全体が貧窮状態に陥り、その痛みを軽減するため、「日本凄い」的な神話に郷愁を抱き、平然と中韓に対する排外主義を公に表現する国に成り果てている。

元五輪会長・森喜朗の失言のルーツを辿る

 が、そんな流れに逆行するべく「日本の保守の非合理性、瑕疵を打ち砕き、愛国神話の脱皮を目指す」今企画。  前回、百田氏を紹介して今回は、第6回目。で、今回は少しネタが古くなってしまったが、日本の国政の顔役として政界に長く居続ける森喜朗氏を取り上げたい。  森喜朗氏と言えば、もう説明は不要だろう。先日女性に対する偏見に基づく愚かな失言で五輪組織委員会会長を辞任した方だ。  しかし方々で「切り取り」だと指摘され、いまだに森氏に対する擁護意見も根強く多い。で、そこで今回、私が、森喜朗の全文を改めて読み、あの失言は、何が問題だったのか、を再度細かく検証し、森氏を擁護できるポイントを探してみようと思い立ち、全文を読んだ。  で、結論を先に言うと、森氏の失言は、紛れもなく保守の典型的な家父長制オヤジの妄言の好例であり、一切擁護できるポイントが見当たらず、正直困った。  例えば森氏は冒頭で明白に「女性が沢山入っている理事会は時間がかかる」と言っている上に、其の引用を肯定しながら「女性っていうのは優れているところですが競争意識が強い。中略、それでみんな発言されるんです」とその偏見に加担すらしている。

「女性を褒めてるからセーフ」なのか

 森氏を擁護する意見の中で一番酷かったのは『誉めてるからセーフ』的な意見だ。  この歪んだ擁護が如何に間違っているか説明しよう。例えば、偏見に基いて女性は、家事育児に奉仕し、不平を言わず、子供を育てるから尊い存在だ、と言えば、例え称賛の意味の文脈でも見識を疑われるのは至極当然の成行である(何故なら女性が公的地位から排除されかねない価値観だからだ)、ゆえに「褒めてるからセーフ」は何のエクスキューズにもならない。  しかもこの騒動の本質は、女性の地位向上に森喜朗氏は、努力を払おうとしていない点だ。  もし、そのような偏見に囚われず私は女性を選ぶ。と主張したいのであれば、そのような発言をした者を最初から名前を明かし、批判すべきである。  なのに森氏は、それもしようとしない。記者が質問で「—— たとえばどういう競技団体か」と問われた際も、「それは言えません」と記者の質問を拒否している(「面白おかしくしたいから聞いてるんだろ?」森喜朗氏、謝罪会見で“逆ギレ”も(会見全文) | Business Insider Japan))。  森氏は、自分は女性を尊敬していると言いながら、同時に、女性の実質的な偏見を、温存する行為に加担しており、それは結局、日本の旧態依然としたジェンダー観を代表する男性中心主義的なセクシスト集団の「共犯」ないし「幇助犯」であると自ら認めているに等しい。
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五輪ボランティア待遇の劣悪さは、ネトウヨが腐す韓国よりも下
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