自由なメディアなしに自由な選択肢はない。ポーランドで独立系メディアが一斉停止した日
毎日利用しているテレビやニュースサイト、こうしてご覧いただいているメディアが突然使えなくなる……。そんな事態を想像したことはあるだろうか?
我々、日本人にとって必要な情報にアクセスできることは、あまりにも当たり前になっている。
しかし、世界を見渡すと、お隣の中国ではSNSやインターネットでの検閲が日常的に行われており、同じくお隣のロシアでもジャーナリストやメディアは厳しく弾圧されている。
我々がテレビやラジオ、スマホやパソコンで多くの情報を、それも無料で見られるのは、言論や報道の自由が保障されているからに他ならない。そして、それら多くの情報は、誰かが取材や調査、研究を行なったうえで我々の手元に届けられている。
そうは言っても、現実にそれらが失われた日常を想像するのは難しいだろう。国会の質疑で黒塗り文書が提出されようが、政治家が質問に答えなかろうが、報道が利権と癒着しようが、我々一般人には関係ないことに思えるかもしれない。
では、たとえば明日の天気予報が見られなくなってしまったらどうだろう? メディアとの接し方や、言論や報道の自由について否が応でも考えさせられるはずだ。筆者はまさにそのような体験をした。
ことが起こったのは2月10日。筆者が住んでいるポーランドでは数年ぶりの本格的な冬が到来し、酷い日にはマイナス20度近くまで気温が下がっている。「今日も随分寒いけど、いったい天気はどうなっているのか」とスマホで天気予報を調べようとすると、そこには見慣れない画面とともに、次のような文言が表示された。
“MEDIA BEZ WYBORU”(メディアに選択肢はない)
あまりにも非日常的でなかなか想像し難いかもしれないが、皆さんが普段観ているテレビやニュースサイトに、突然このような表示が飛び出してきたことをイメージしてほしい。
画面をいくらスクロールしても、天気予報は一切表れない。表示されるのは、以下のようなメッセージだ。
“ここにはあなたのお気に入りのインターネットサービスがあるはずです。しかし、本日こちらでは何も読むことができません。独立したメディアが存在しない世界を体感してみてください。「メディアに選択肢はない」運動が始まりました。我々がポーランド共和国政府に向けた公開書簡をお読みください。利用者の皆さまと後援企業のご理解とご協力に感謝します”
いかがだろう? このメッセージは、たまたま筆者が開いた天気予報のサイトで表示されたわけではない。同日、テレビを含むすべての独立系メディアで表示されたのだ。
その情報は本当にあって当たり前?
「メディアに選択肢はない」の意味
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