高橋廣敏さん
いよいよ始まった大学入学共通テスト。今年の受験生はコロナ禍で学校で十分に授業が受けられず、十分な学力が付かないのではないかと親御さんたちに不安が広がっているとの声も聴きます。
また、少子化で1人に掛けられる教育費が多くなったこと、そして長引く不況で少しでも就職に有利になるようにと子どもに高い学歴を望むことから、受験の低年齢化が進み早期の英語教育なども盛んに行われています。
一方で、子どもの学力、特に国語力は低下していると言われています。学力到達度調査「PISA」の2018年の日本の実績は、数学的リテラシー6位、科学的リテラシー5位、読解力は15位。いわゆる難関大学の教員からも「今の学生は総じて幼く思考力が低い」という苦情も聞きます。
教育費は上昇する一方で、精神年齢や思考力は低くなっているという声もある今の子どもたち。一体彼ら彼女らに何が起きているのでしょうか?
今回は前回に引き続き、代々木ゼミナールで長年東大特進クラスなどで現代文小論文を担当し、現在はN予備校で教鞭を取る予備校講師の高橋廣敏さんに、学力向上のために本当に必要なことは何かについてお話を聞きました。
――前回は国語力の低下した子どもたちの現状についてお伺いしましたが、ではどのようにしたら学力が上がるのでしょうか。
高橋:やはりどこかの段階で勉強が「楽しい」とか「面白い」とか思うことが大事なんだと思います。知らないことを知ることができれば楽しいし、できなかったことができるようになれば楽しい。生徒たちには「とにかく好きになればいい」と教えています。例えばサッカー部の生徒がいたとして「サッカーができるようになってから好きになったわけではなく、好きだったからできるようになったんでしょ」と。ごくまれに「できるようにならないと好きになれません」と言う生徒もいましたら。偏差値70になったら勉強が好きになるのかという話です。とにかく楽しさや面白さを伝えながら、好きになるように教えるようにしています。
特に僕が指導している現代文や小論文は自分と関係のあることです。自分の生活と関係のあることなので、例えば遺伝子組み換え技術に関する文章を読んで興味を持ったなら少しずつ他の科学の文章も読んで解いてみようという気になります。そうやって少しずつ解いていくとできるようになり、達成感を覚えれば確実にできるようになります。嫌いなままだとなかなか伸びていきません。全教科でなくてもいい。1教科でもいいから面白いと思ったらその子は他の教科も伸びていきます。
また「いい点とったらゲーム買ってあげる」という報酬方式もそれほど効果がありません。勉強そのものが楽しくならないと伸びないからです。「報酬をもらうために勉強する」という構造は「報酬」=喜び、「勉強」=苦痛という対比構造を子どもに植え付けます。逆に言えば楽しくなれば周りが放っておいても伸びます。できるようになると快感を覚えてどんどんやるようになるんですね。教育学の実験でも報酬系のグループは伸びないと言われています。報酬方式を取り入れるのは教育熱心な親御さんが多いのですが実は、逆効果だと伝えたいです。
それから、テストの結果だけを褒めるのは止めた方が良いです。それよりもプロセスをよく見てあげて褒めてあげてほしいです。勉強が楽しくなるようにプロセスを褒めて、楽しくなればどんどん自分から勉強するようになり成績も上がるという流れを作って欲しいですね。
僕の生徒さんは社会人出身の人もいます。いわゆる元不良で大学に行かないまま社会人になりましたが、ある日思い立って大学受験をしようと自分の授業を受けたら急に好きになって勉強し始めたという人もいます。結局彼は大学に入り、今では僕のように予備校講師になりたいと言っています。似たようなケースが他にもありますが、1人は高校の教師になり、もう1人は大手予備校で講師をやっています。とにかく「楽しい」と感じることが大切なんです。
――子どもの将来を思うあまり、ついたくさんのお稽古ごとを習わせてしまったり、予備校の講座をたくさん申し込んでしまうお母さんも多いと聞きます。
高橋:富裕層の専業主婦のお母さんの場合、自分が評価される機会がないので、子どもの自己実現が自分の自己実現になってしまいがちです。また夫婦仲が上手く行っておらず、そのストレスが子どもへの期待になることもあります。そういう環境に育った子どもは親の顔色を窺ってばかりの人生となってしまいます。常に客観的な目線が必要だというこということを忘れないでほしいですね。
――親御さんが教育熱心になるのは悪いことではないと思いますが、過度な期待で追い詰める「教育虐待」のケースも聞きます。子どもに対してどのような距離感で、どのような指導をするのが良いのでしょうか。
高橋:親御さんに言いたいのは「自分は完璧なのですか」ということです。子どもにありのままを見せた方がいい。その方が子どもの方も安心します。それから、過度の期待をするのは概ね母親の方が多いです。父親は子どもに自分より高い能力を求めません。父親はドラえもんののび太の父親のようなスタンスでいるのがいいですね。のび太の父親は「宿題はできなくてもいい。のび太が生まれて来た時のことを思い出すだけで腕のあたりがポカポカ温かくなるんだ」とのび太に伝えています。どのご家庭も母親は「私はちゃんと注意しているんだからあなたも注意してください」と言うと思うんです。夫婦は一致していなければならないと。でも、それでは子どもが息苦しくなってしまいますよね。
心理学的に母親は子どもを守ろうとすると言われています。自分の子がこの世で一番弱いので守らなければならないと。一方、父親はどこかで自分の子どもは根拠なく大丈夫だと信じている。そこは一致しなくていいと思います。父親は適当でもいい。
矛盾は良くないという考え方がありますが、矛盾しているのが世の中なんだということを教えることも大切なんです。お父さんがそういう存在でもいいと思います。そして、それを伝えるのは親や教師でなくてもいい。かつては親、教師以外にも人生にとって大切なことを教えてくれる「謎のおじさん」がいたものです。昔だったらバイク屋のおじさんですね。
自分は予備校教師ですが生徒とはそういう関係を築けたらと思っています。今の子どもたちは教室の中も同調圧力が強く、自分の本当にやりたいことを見つけられない子が多い。「偏差値だけが人を測る物差しではない」ということを伝えていきたいです。謎のおじさんはカッコよく言うと異邦人なんです。子どもは自分や周囲の価値観とは違う異邦人に出会うことが大切なんです。