DirectXの生みの親の1人が55歳で死去。社内で「Beastie Boys」と呼ばれた反骨者たちの功績

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※写真はイメージです photo by Felix Lichtenfeld via Pixabay

DirectXの生みの親の1人が55歳で死去

 先月のことだが、DirectX の生みの親の1人、Eric Engstrom 氏が55歳の若さで亡くなった(Engadget)。このニュースを見て、そういえば、DirectX という言葉を見る頻度は、この数年大きく減ったなと思った。スマホ世代の若い人は、そもそも DirectX という言葉を見たことがないかもしれない。しかし、一時期この言葉は、コンピューター業界では、非常によく目にするものだった。  DirectX は元々 Microsoft が、Windows 向けに出したゲーム用の API(Application Programming Interface、利用方法の規約群)だ。その後、コンソールゲーム機 Xbox の技術基盤にもなっている。Xbox の X は、開発時のコードネーム DirectX Box から来ていると言われている(IGNMCV/DEVELOP)。  この DirectX だが、歴史は古い。DirectX のバージョン1.0は、1995年にリリースされた。2.0、3.0は1996年。4.0は欠番で、5.0は1997年に登場している。6.0、7.0、8.0は、それぞれ1998、1999、2000年に出ている。DirectX は急速に開発されて、この時期に一つの完成を見た。そして、その後は更新のペースが遅くなる。9.0は2002年、10.0は2007年、11.0は2009年、12は2015年にリリースされている。  一時期は、Windows でゲームを遊ぶために、多くの人が、まずは DirectX を導入していた。そのため DirectX は、高性能なグラフィクスのゲームを遊ぶために不可欠なものというイメージがあった。  しかし、最近は往時ほど名前を聞かなくなった。それは、DirectX が技術として一般に浸透して、ことさら大声で叫ぶ必要がなくなったからだ。また、スマートフォンとWebに人々の目が移行して、存在感が薄くなったのも原因である。  この DirectX の生みの親の1人である Eric Engstrom 氏が55歳で死去した。バージョン1.0がリリースされた1995年は、今から約25年前である。ちょうど、Eric Engstrom 氏が30歳の頃になる。当時はどんな時代だったのか。コンピューターの世界で何が求められていたのか。GUI(Graphical User Interface)の家庭用コンピューターの黎明期に、少し時代をさかのぼってみよう。

DirectXの登場

 まず、DirectX とは何か、という話をしておかないといけない。この API の開発初期の名称は、Windows Game SDK であった。つまり、Windows パソコンで、ゲームを開発するための API というのが大前提としてある。  DirectX は、ゲーム開発に用いられる各種 API の総称だ。すでに統合や廃止されたものもあるが、Direct3D、DirectDraw、DirectMusic、DirectPlay、DirectSound など、様々なゲーム用 API があり、それら Direct で始まる API をまとめて呼ぶものが、DirectX になる。  時代は1994年にさかのぼる。Microsoft では、Windows95 のリリース準備が進んでいた。その時期、Microsoft の社員である Alex St. John 氏は、DOS 向けゲーム開発者たちを訪問してヒアリングを重ねていた。そして危機感を募らせていた(PC Gamer)。  新しく登場する Windows95 向けにゲームを作りますか? その質問への回答は否定的なものだった。当時のコンピューターの性能は、今ほど高いものではない。処理速度が遅く、描画性能が低かった。コンピューターの上に Windows95 という OS が動き、その上でさらにゲームアプリケーションを動かすという構造は、性能的に大きな問題を抱えていた。  この問題を解決するために、Alex St. John 氏は、 Craig Eisler 氏と Eric Engstrom 氏を採用した。そして、マンハッタン計画と、彼らが呼ぶプロジェクトを開始した。マンハッタン計画という名称は、原子爆弾の開発計画から採られた。そのため初期の頃の DirectX のロゴは、放射線マークを模したものが用いられていた。  DirectX の Direct は「直接」の意味である。Widows の干渉を最小限に抑えて、なるべくダイレクトにハードウェアを操作する。これは、かなりの困難を伴った。Windows パソコンには多くのハードウェアが接続される。それらの差異を気にすることなく、プログラムを書けるようにしなければならない。DirectX は、Windows 上でのゲーム開発を実現するために、様々な機能を実装していくことになった。  DirectX の開発メンバーたちは、社内で Beastie Boys(野蛮な若者。1978年結成のアメリカのヒップホップ・グループの名でもある)と呼ばれ、クビの圧力にさらされながら 開発を進めた。初期の頃、Microsoft の経営陣は、彼らの活動を評価していなかった。経営陣は、Windows をゲームプラットフォームにする気がなかったからだ。  Alex St. John 、 Craig Eisler 、Eric Engstrom は、DirectX の改良を続けた。しかし、ゲーム開発用の API を作っただけでは、それがきちんと動作するか分からない。その上で動く、ゲームも必要になる。  DirectX チームは、動作確認のためのゲームとして、『DOOM』を選んだ。FPS(First Person Shooter)の代表作であるこのゲームのオリジナル版は、1993年にリリースされていた。その開発会社と交渉して、実現に漕ぎ着けた。そして『DOOM95』が、1996年にリリースされる。このゲームは、公開された最初の DirectX ゲームになった。
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Beastie Boysが作った事業は大きく成長した
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