南北戦争を知らずして、アメリカを語るなかれ<『宗教問題』編集長・小川寛大氏>

「奴隷解放宣言」は奴隷を解放したのか

―― 南部のリー将軍が神話化されているように、リンカーンも神話化されています。 小川:リンカーンは当初、奴隷制に関して慎重な態度をとっていました。リンカーンが懸念していたのは、南北の境界部分に位置する境界州の動向です。南北戦争を有利に進めるためには、できるだけ多くの境界州を取り込む必要がありました。しかし、境界州は奴隷制を認めていたので、もしリンカーンが明確に奴隷制を否定すれば、彼らが南部に加わってしまう恐れがありました。  そのため、リンカーンは開戦直前に行った大統領就任演説でも、「奴隷制度が敷かれている州におけるこの制度に、直接にも間接にも干渉する意図はない」と述べています。この発言は南部に対して最後の説得を試みたという側面もありましたが、それと同時に、境界州を極力刺激しないという狙いもありました。  しかし、共和党内の急進的な奴隷解放論者たちは「リンカーンは弱腰だ」「南部のスパイではないか」と反発します。リンカーンはこうした批判をのらりくらりとかわし続けますが、南北戦争が始まると、共和党の穏健派たちもリンカーンに苛立ちを示すようになります。リンカーン寄りだった新聞さえ「連邦政府は何をすべきかを知らない人の集団だ」といった批判記事を掲載するようになりました。  それゆえ、ついにリンカーンも明確な態度表明を行わざるを得なくなります。これが世に言う「奴隷解放宣言」(1863年1月)です。  しかし、この奴隷解放宣言も不十分な内容でした。奴隷解放宣言は「合衆国に対し謀反の状態にある州あるいは州の指定地域の内に奴隷として所有されているすべての人々は、その日ただちに、またそれより以後永久に、自由を与えられる」と規定していました。そのため、奴隷制を保持したまま北部側に加わったケンタッキーやデラウェア、ミズーリ、メリーランドなどの境界州は、奴隷解放の適用外とされたのです。また、このときまでに北軍が制圧していたテネシーや、北軍の実効支配下にあったバージニアやルイジアナの北部地域などにいる黒人奴隷も解放の対象にならないとする補助規定がつけられていました。こうしたことから、奴隷解放宣言で黒人奴隷は実質的には一人も解放されなかったとまで言われています。  現実に奴隷解放につながったのは、憲法修正第13条(1865年1月に議会通過)です。こちらのほうが奴隷解放宣言よりずっと重要です。憲法修正第13条は「奴隷制および本人の意に反する苦役は、適正な手続を経て有罪とされた当事者に対する刑罰の場合を除き、合衆国内またはその管轄に服するいかなる地においても、存在してはならない」と定められています。この条文は奴隷制廃止条項と呼ばれています。  リンカーンはこの修正第13条を可決する際、数々の裏取引を行い、恫喝のようなことまでして議会の賛成票を取りまとめていきました。リンカーンは高潔で優れた大統領だったと見られており、私も立派な大統領だったと思いますが、実は政界の寝業師と呼ぶべきタフ・ネゴシエーターだったのです。  リンカーンのこうした側面が見落とされがちなのは、彼が暗殺によって命を落としたからでしょう。アメリカに限らず、劇的な死に方をした人は過剰な意味づけをされがちです。それがリンカーン神話を生み出していったのだと思います。

バイデンは「忘れられた人々」と向き合え

―― アメリカの南北が最初から分断されており、その上それぞれ別の神話をつくり上げているとするなら、アメリカは今後も一つの国家になることは難しいと思います。 小川: もともと統一されていた国が無理やり分断されたのであれば、改めて統一することが重要な課題になります。しかし、アメリカは最初からバラバラでゆるい国家なのですから、無理に統一しようとすれば混乱が生じるだけです。アメリカを「分断」というキーワードで語ることは無意味です。  もし現在のアメリカに「分断」という言葉が当てはまるものがあるとすれば、民主党支持者たちの分断でしょう。民主党はかつては労働組合を有力な支持母体とした政党で、炭鉱夫や自動車の組立工などに支えられていました。今ラストベルトと呼ばれている地域にも民主党支持者たちが多数いました。  ところが、昨今の民主党は労働者たちの苦しい生活を直視することよりも、LGBTや少数民族の問題などにばかり目を向けています。そして、そういう問題にポリティカル・コレクトネス的な見地から関心を寄せる、都市インテリ、グローバリストたちと密接に結びつくようにもなりました。  もちろんこれらは重要な問題ですが、彼らはこうした問題に取り組む一方、プアホワイトたちのことを見過ごしてきたわけです。だからこれまで民主党を支持してきた人たちがトランプに投票するということが起こってしまうのです。今回の選挙結果を見ても、民主党vs共和党の戦いは、事実上「都会vs地方」の戦いでした。  トランプ大統領の出現によって共和党が変質したと言われることがありますが、ブッシュ(子)などを見ればわかるように、共和党は長く保守的な政党です。それに対して、最近の民主党は明らかに変質しており、アメリカの保守派内では「今の民主党はゲイと社会主義の政党だ」とまで言う人たちさえいます。  民主党の基盤が揺らぐことは、アメリカにとって好ましいことではありません。アメリカは二大政党制ですから、2つの政党のうちの1つが弱体化してしまえば、アメリカ政治は不安定化してしまいます。  南北戦争の勃発の背景にも民主党の不安定化がありました。民主党は全国に基盤を有していたため、奴隷制度をめぐって南北間で対立が生じ、ついには北部民主党と南部民主党に分裂してしまいました。リンカーンが当選した大統領選挙では、北部民主党と南部民主党はそれぞれ候補者を擁立し、票を分散させています。先ほども言ったように、二大政党制の中における一方の政党の混乱は、国中を混乱に巻き込みかねないのです。 ―― 今回の大統領選挙は、トランプ大統領が郵便投票をめぐって法廷闘争に持ち込む方針ですが、民主党のバイデン候補の勝利でほぼ決まったと見ていいと思います。民主党が本来の姿を取り戻せば、アメリカは現在よりマシになるでしょうか。 小川: 繰り返しますように、アメリカは最初からバラバラな国であるからこそ、二大政党がおおまかにアメリカの全市民の意識を収斂し、対峙することで成り立ってきた面があるのだと思っています。バイデン氏は当確が出た後からしきりと「国民の団結」を呼びかけていますが、これが空念仏にならないよう、実際に地方を歩いてみることだと思いますね。民主党が顧みなくなった「忘れられた人々」との向き合い方を考え直さないと、「トランプ的なもの」はよくも悪くも、強固に残り続けると思います。      (11月10日、聞き手・構成 中村友哉) <記事提供/月刊日本12月号
げっかんにっぽん●Twitter ID=@GekkanNippon。「日本の自立と再生を目指す、闘う言論誌」を標榜する保守系オピニオン誌。「左右」という偏狭な枠組みに囚われない硬派な論調とスタンスで知られる。
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月刊日本2020年12月号

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