劇中では、声優夫婦が政府から配布されたガスマスクを受け取ったり、市民が窓をテープで密閉したりするシーンがある。言うまでもなく、これはガス攻撃から身を守るための手段であり、1990年当時のイスラエルで実際にあったことだ。
当時のフセインはイスラエルへの敵対心をあらわにしており、攻撃をされる可能性も高まり、その恐怖がイスラエル国民に広がっていた。実際に(ガスではなかったが)88発のスカッドミサイルが撃ち込まれ、74人が死亡し、230人が重軽傷を負うという大惨事も起こった。
劇中の登場人物は、一見すると普通に日々の生活を送っているように見える。だが、内心ではいつか攻撃され、あっさりと死んでしまうかもしれないという不安を抱えて生きているのだろう。そんな彼らの姿は、2020年の現在に新型コロナウイルスの脅威にさらされている今の私たちとも重なるところがある。
本作は映画の吹き替えの仕事をしていた声優夫婦を主人公にしているだけあって、映画そのものへの敬愛に溢れており、特に生誕100周年を迎えたイタリアの名匠フェデリコ・フェリーニに最大のオマージュを捧げている。作中で新作として上映されるのはフェリーニ監督作の『ボイス・オブ・ムーン』(1990)であるし、夫婦で共に吹き替えをした『8 1/2』(1965)で賞を受賞したことが夫の輝かしい思い出として語られたりもするのだ。
また、フェリーニは当時のソ連で鑑賞できる数少ない外国映画の監督の1人であり、モスクワ国際映画祭で上映もされていたそうだ。そのため、劇中の声優夫婦がフェリーニの映画に親しみを持っていることはもちろん、「彼らはもしかするとフェリーニに会っていたかもしれない」という含みも持たせるようになっている。
さらに、劇中では映画館そのものが重要な舞台として登場する。初めこそ、夫は映画館でスクリーンを直接撮影するというひどい犯罪行為に加担していたのだが、その場所はやがて意外な形で、夫婦にとって重要な意味を持つようになっていく。
エフゲニー・ルーマン監督は、本作が長い時間を共に過ごした夫婦の心境を描いていることを前提として、「芸術に身を捧げた2人が、突然、この世界にはお互いの存在しかないことを知り、銀幕上ではなく、現実の中で自分の人生を生きなければならない物語である」ということも告げている。
確かに、これは映画の吹き替えという芸術の仕事に携わっていた夫婦が紆余曲折を経て、映画という空想や理想ではない、「現実のパートナー」を見つめ直すという物語だ。タイトル通りに決して甘くはない、少しビターな味わいの作品だからこそ、現実でより良い夫婦でいられるためのヒントももらえるだろう。
<文/ヒナタカ>