――映画監督のみならず、映画評論家やテレビのコメンテ―タ―など幅広い分野で活躍されてきました。
井筒:「ある時は映画監督」と周りにそう思われてきたけど、僕は初めっから映画屋なんです。ただ、映画監督を「職業」と思ったことはないです。創りたいものだけ創ってきました。高校生ぐらいから考えていたのは、自分の能力の「買ってもらいがいのあること」をしようということです。自分の好きなことをやって、出来上がったものを買ってもらえばいい。その時々に評価額が付くのは仕方のないこと。それは評価として受け入れて、とにかくやりたいことをやって生きて行こうと思ってました。
――コロナ禍が続いていて実写の作品が撮れなくなり、今後はアニメ作品が増えるのではないかという声もあります。
井筒:映画は実写でなくてはならないと思ってます。僕らは実写のテレビ映画番組の第一世代なんです。幼年期に実写の『月光仮面』(‘58)、『鉄腕アトム』(‘59)から始まって、クリント・イーストウッドの『ローハイド』(‘59)やスティーブ・マックイーンの『拳銃無宿』(‘58)などのアメリカのテレビ映画を何百本も浴びるように見ました。
(C)2020「無頼」製作委員会/チッチオフィルム
中でも6,7歳の時に出会った“弾丸(タマ)よりも速く、力は機関車より強く、高いビルもひとっ飛び!”とナレーションが付いた『スーパーマン』(日本では1956年からテレビで放映)をよく覚えています。虚構の中に描かれる夢と人間の理想、正義、善悪も含めて学びました。しかも、スーパーマンの初代のジョージ・リーヴスが自殺してしまうんです。その時に虚構とは別の現実の脆さ、非情も学んだんです。
日本の時代劇のテレビドラマ『隠密剣士』(‘62)も面白く、手裏剣をブリキ板で作って遊んでました。すべてが自分の血肉になっていますね。そういう感覚は二次元のアニメではなく、実写でないと味わえないと思いますね。アニメで育っていたら、映画は撮っていなかったでしょうな。
――本作の映像には温かみがあると感じました。
井筒:それはこの映画はスーパー16ミリフィルムで撮影しているからなんです。日本はデジタルが主流ですが、デジタルでは出せない中間色がフィルムでは出せるんです。デジタルのピクセル(画素)は赤、緑、青しか出ないのですが、それを遠くから見たら中間色に見えるだけなんです。近くによってじっと見てみたら、赤は赤、青は青、緑は緑の絵の具が塗ってあるような世界。
ところが、フィルムでは中間色の塊が捉えられて何層にもなっている。その映像の豊かさを感じて欲しいです。サイズは一番見やすいビスタサイズにしました。
――最後に、この映画の見どころをお聞かせください。
井筒:今の若い子たちは物事の細かなニュアンスや抽象的なことを把握する能力が弱いと感じますが、『無頼』は流れる文脈、言葉を大切にした映画です。ぜひ、この2時間26分のストーリーを見て、昭和の人やコトやモノの意味を理解して欲しいと思っていますね。
そして、「正義を語るな、無頼を生きろ」これがこの映画のキャッチフレーズですが、権威からもっとも遠い、寄る辺なき「無頼者」たちが貫いたものは何か、ぜひそれを劇場で見て自分で感じ取って欲しいです。
<取材・文/熊野雅恵>
<撮影/萩原美寛>
くまのまさえ ライター、クリエイターズサポート行政書士法務事務所・代表行政書士。早稲田大学法学部卒業。行政書士としてクリエイターや起業家のサポートをする傍ら、自主映画の宣伝や書籍の企画にも関わる。