多くのソフトウェアでは、時間とともに機能が増える。最初は1画面で見せられていた情報が、だんだん1画面に収まらなくなり、画面をはみ出したり、表示を小さくしたりしなければならなくなる。そうなると、情報を上手いこと削り、シンプルに見せる必要が出てくる。ユーザーにとって既知の情報は削られて、象徴的なものになっていく。
また、この複雑化の影響として、情報は階層構造になっていく。その結果、奥深くに配置された機能を、ユーザーは見付けにくくなる。
こうした複雑化の圧力が絶えず働くことは、私自身『めもりーくりーなー』というソフトを開発して、機能を追加し続けたことで経験している。最初は、1画面に全ての機能が入っていたが、徐々に複雑化して、設定画面ができ、項目が増え、ボタンからは説明が消えて、頭文字だけが残るようになった。
では機能を追加しなければよいだろうと言いたくなるが、これはなかなか難しい。機能を追加することで話題が生まれ、ユーザーは増える。ソフトウェアの機能追加は、広報的な側面も強い。何か機能を追加し続けなければ、死んだソフトと見なされるのだ。
この「慣れによるシンプル化」と「複雑化による階層化」が組み合わさると、初見ではどこに何があるのか分からないユーザーインターフェースが出来上がってしまう。ソフトウェアのユーザーインターフェースは、時間が経つにつれて分かり難くなる圧力を、絶えず受け続ける。
こうしたユーザーインターフェースの難解化は、最初からずっと付き合っていれば、それほど苦労は感じない。しかし、新規に使い始めると戸惑ってしまう。
こうした現象は、坂道と階段のメタファーで表すことができる。坂道をゆっくりと上がっていれば登れる斜面も、階段の各段の高さが異様に高ければ登ることができなくなる。こうした、ユーザーインターフェースによるデジタルデバイドは、これまで電子機器を積極的に利用していなかった高齢者などに存在している。
画面だけでなく、徐々に増えてきた操作方法も、初見では分からないことが多い。たとえば、スワイプやピンチなどは、誰かがやっているところを見なければ、なかなか気付きにくい。スクロールも、概念を知らなければ難しいだろう。最近は、スクロールバーが省略されるケースが増えてきているために、特に気付きにくくなっている。
音声入力も、知らなければ画面を見ても気付きにくい。携帯電話からスマートフォンに買い換えた人で、この入力方法を活用していない人も多い。そもそも、存在に気付いていない人も一定数いる。
そこに音声入力があるのが分かっている人には、ことさら強調しないように入力方法のデザインは簡略化されていく。そのため、シンプルになったあとに手に取った人は、気付かなかったりするのだ。
アイコンのデザイン変更の話題を見て、デザインの流行以外の要素を感じたので、こうした話を書いた。世の中の多くのサービスは、分かっている人向けに簡略化され、階層化されていく。その変化が一定量を超えると、新規参入者には使いにくいものになる。
こうしたデジタル機器やソフトウェアの、時間経過による難解化を、今後どう分かりやすく伝えていくかは、念頭に置いておく必要があると感じている。
<文/柳井政和>