居場所を見つけると、運命の相手も見つかる科学的理由
甘露寺にとって鬼殺隊がありのままでいられる場所であることは、彼女が男性中心組織の女性にありがちな「過剰適応」をしていない点にも端的に表れている。
男性を内面化し、無理をして男勝りに振舞うのが古くからの「女戦士キャラ」のセオリーでもあったが、甘露寺は柱という最強の剣士でありながらも自然体で、むしろ「結婚相手を見つけるために鬼殺隊に入隊した」と公言するほどである。ほとんどが鬼の被害者である鬼殺隊では異質だが、この異質さが後に、彼女の願いを叶えることに繋がる。
人一倍魅力的であるにもかかわらず、長年自信を持てずにいた女性の部分を唯一認めた男、伊黒小芭内との出会いである。
「引き寄せの法則」などで、「自分に正直に生きれば運命の相手と出会う」などと言われるが、そのようなスピリチャルな現象は存在せず、単に自己受容度が高いと対人魅力も高まり、好ましい相手が呼応するか、相手を好ましく変容させるというのが実際のところである。
事実、伊黒が一瞬にして心奪われたのも甘露寺の育ちの良さもあるが、鬼殺隊で水を得た魚のように生き生きとする姿が、彼の心の暗部に光を照らしたからであると思われる。
もちろん「良い人だし、理解者ではあるけど男性的魅力を感じない」という理由で男友達止まりになってしまうケースは多いだろう。それは逆からも言えることで、自分より力が強く高身長で収入も同程度または上回る女性を忌避する男性も少なくない中、甘露寺に惹かれた伊黒もまた、大正時代の男性としては珍しいといえる。
一方で、自身に流れる汚れた一族の血は、自身の死をもって浄化されるべきであると考えている伊黒は、甘露寺に思いを伝えることができぬまま時が過ぎていく。
ここで生じる疑問は、二人にコンプレックスがなかったら、お互いに惹かれ合っただろうか?という点だ。
甘露寺が自身の大食いや容姿を肯定できていた場合、同じく大食いである煉獄杏寿郎とくっついていたのではないかとも思えるし、伊黒が暗い過去を背負っていなかった場合、正反対のタイプである甘露寺と接点を持ったかは未知数だ。
モテ女の甘露寺が伊黒を選んだ理由はコンプレックス?
美丈夫の揃う柱の中で、甘露寺があえて低身長で非イケメンの伊黒を選んだ理由は「自分をありのままで認めてくれた唯一の男」からであるからだろう。
人は自身を認めてくれた相手に好意を抱く「自己確認」という心理作用がある。認められることにより、さらに自身の長所を発見していく「自己拡張」も起こる。特にコンプレックスに思っている部分であれば、それはもう絶大な効果をもたらすため、恋愛テクニックで言及されることも多い。
とはいえ、凹凸があってこそ深く結びつく人間関係の妙味と、善性を細かく描いているのも本作品の魅力だ。
伊黒も終盤では主人公と組んで大立ち回りを演じ、本性は心優しく、トラウマティックな生い立ちさえなければ人当たりの良い人物であったことを存分に窺わせる。
そんな二人は、ラスボスの鬼舞辻無惨との戦いで共に死を迎える際、ようやく互いの本心を確認し合う。
「伊黒さんと食べるご飯が一番おいしいの。だって伊黒さんすごく優しい目で私を見てくれるんだもん。(中略)また人間に生まれ変わったら、私をお嫁さんにしてくれる?」
これまで甘露寺を白眼視はすれど、微笑ましく見守る男はいなかった。甘露寺は死してようやく理想の相手と結ばれたのである。バッドエンドだとしても、それに至る過程は決して無駄ではなく、悔いのない人生であったといえる。
このように甘露寺と伊黒のカップルを通じて本作を見ると、「居場所」と、異性の外面に捉われないことの重要さが読み取れるといえる。
<文/安宿緑>