本作を群像劇にするという案を思いつき、実際にプレゼンを経て企画を進めていた大庭功睦監督は、WEBサイトにおける『滑走路』のレビューからも、映画化のためのヒントを得たという。読者が自身の体験を反映させながら歌集を読んでいることを知り、映画でも自分と原作の間にその“読者”を挟んで、彼らの人生をドラマにするというアプローチを思いついたのだそうだ。
©2020「滑走路」製作委員会
3つの物語の中でも、特に萩原慎一郎の人生とは関係なさそうに見えていた(実際は関係があることもわかっていくが)30代後半になり将来に悩んでいる切り絵作家は、歌集『滑走路』の読者であり、この映画を観ている観客の投影と言えるかもしれない。その他にも、脇にいるキャラクターや、若い人であればいじめに遭う中学2年生の学級委員長、はたまた若手官僚という“権力者”側の人間に、自身の姿を重ね合わせる人もいるだろう。いずれにせよ、この大庭監督の試みは、「劇中のどこかに、自分に似た人間がいる」と思えるという、作品により没入しやすくなるという効果を生んでいる。
また、岩上貴則プロデューサーは、原作の歌集の「読む人によって思いを寄せる歌が異なり、読者それぞれが自身の体験と照らし合わせて熱量高く語れる」ということに、多面的な魅力と、映画化する上での可能性を感じていたのだという。この言葉通り、本作は人によって感情移入するキャラクターも、そして作品から受け取るメッセージも変わってくる。ぜひ、誰かと一緒に本作を観たのであれば、観賞後に語り合ってみてほしい。きっと、人によって異なる、豊かで多様性のある価値観について、知ることができるだろう。
大庭功睦監督は、「この時代にこの映画を送り出す意味」について、以下のように語っている。
「非正規雇用やいじめの深刻な影響のひとつは、その当事者を深い孤独に陥らせてしまうことだと思います。その救いとなるのは、かけがえのない他者と触れ合う事しかありませんが、社会の分断と対立が深まり不寛容が幅を利かせる今、『自分は誰かにとってのかけがえのない他者である』という想像力が何よりも求められていると思います。この映画が、その想像力をもたらす一助となれれば嬉しいです」
©2020「滑走路」製作委員会
本作の物語の根本には、自死という重い出来事がある。中学高校時代にいじめに遭い、そして非正規雇用で働いていた、原作の歌集の作者である萩原慎一郎が、32歳の若さで命を絶ったという事実は、あまりに重く、悲しい。2020年には芸能人の自殺報道が相次いだため、この“死”を見つめている本作を観ることを、躊躇する人もいるかもしれない。
だが、その萩原慎一郎の歌集は、これからも遺り続け、この世に生きている人の希望になっていくのかもしれない。転じて、この映画の3つの物語にある“つながり”は、現実に生きている誰もが、他の誰かに影響を与えていて、時にはお互いに希望にもなっているかもしれないのだと、まさに「想像できる」ようになっている。
だからこそ、本作はやはり新型コロナウイルスが蔓延し、誰もが社会に不安を覚え、物理的にも精神的に分断されやすくなった、苦しい世界の今だからこそ観てほしいと思える内容なのだ。それこそ、滑走路を飛び立つような、高らかな希望も得られることだろう。そのことがより伝わってくる、エンドロールの最後の“あるもの”まで、ぜひ見届けてほしい。
<文/ヒナタカ>