「融合する」「つながる」心の働きを重視する東洋的思考
近代の西洋においては、モノやヒトを「区別する」感覚が大切にされました。「区別」に努力が払われ、その感覚を洗練していくことが重要と考えられてきました。例えば「自と他」「心と体」「人間とその他の生きもの」など、
あらゆるものが二分法で「区別」されていきます。
その結果、あらゆるものの輪郭が明確に区別されていくことで、それらを元に自然科学の体系が生まれてきました。これに対して、東洋的思考は西洋とは逆の方向へと発展していきました。
日常で区別されているものをむしろ区別せずに「全体として」見ることを大切にしてきたのです。
つまり
「融合する」「つながる」心の働きを重視しているとも言えます。「自と他」「生命と非生命」など、存在するものを区別しない方向へと心の動きを推し進めていくことで、すべての事象を「存在」としか言いようのない、名前もつけることができない場所で考えていく共通の基盤を大切にしてきました。
名前をつけることができないため、その有様は「無」や「空」、「混沌」や「道(タオ)」などと仮に呼ばれてきました。ここで誤解してほしくないことは、西洋と東洋との優劣を主張したいのではなく、そうした
逆方向に成長した巨大な独立峰が同時に存在していることこそが重要だ、ということです。
わたしたちの心は、「区別」し「分離」する働きも持っていますが、同時に「融合」し、「つながる」働きも持っています。どちらの心の働きを重視して突き詰めていったかで、西洋と東洋とは異なる文化を作ってきたと言えるのではないでしょうか。
個と個はバラバラに独立に存在していて、契約によって関係性を結ぶ、という考え方もあります。一方、
すべては「存在」の「混沌」から生まれてきたひとつながりのものであり、それぞれの関係性は本来分けることはできないものだ、という考え方もあります。
「いのち」というフィロソフィー(哲学)を共有するために、文化や芸術は何ができるか
筆者記事
「大林宣彦監督が、人生をかけてこの世界に伝えようとしていたものとは」の中で紹介しましたが、ドイツ政府はコロナ禍の中で
「アーティストは必要不可欠であるだけでなく、生命維持に必要なのだ」と呼びかけ、アーティストの支援をはじめました。
自分も「アーティスト(アート)は必要不可欠であるだけでなく、生命維持に必要なのだ」と思っています。ただ、必要不可欠で生命維持に必要なのは、アーティストだけでもなく、医療者だけでもなく、関係性を持って存在しているわたしたちの全体性の基盤なのだろうということです。
底を支える全体性の基盤がしっかりと機能してはじめて、医療もアートも存在できるし、役割を果たせる、ということが大事なのではないでしょうか。
コロナ禍の中で社会基盤が揺らいでいる今、わたしたちが行う必要があることは「いのち」というフィロソフィー(哲学)を共有することだと思います。そのときに文化や芸術は、その場に対して何を贈与できるのか、ということが問われています。