1990年代のホストブームを牽引したカリスマホスト
1990年代のホスト界を牽引した森沢拓也氏(右)、手塚マキ氏(左)
10月31日、東京・下北沢にある書店「B&B」にて、
石井光太著『夢幻の街』(KADOKAWA)の刊行記念として「伝説のホストが語る歌舞伎町ホストクラブ50年史」と題し、トークイベントが行われた。
参加者は、同書の著者の石井光太氏。あとふたりは、元カリスマホストで現在は経営者である。
その一人、森沢拓也氏は、ホストクラブ「ROMANCE(ロマンス)」の会長。1990年代にホストクラブ業界に数々の新しい経営手法を取り入れ、ホストクラブのビジネスモデルを確立した。現在のホストクラブの給与体系や宣伝手法は森沢氏が考案したものがもとになっている。香咲真也氏、陽生氏などカリスマホストを生み出し、1990年代後半から2000年代のホストブームを牽引した。
二人目の手塚マキ氏は、ホストクラブ『Smappa!Group(スマッパグループ)』の会長。90年代後半のホストブームの時代に、カリスマホストの一人として脚光を浴びた。
その後、ボランティア団体「夜鳥の界」を結成するなど、ホストクラブのクリーン化に尽力。新型コロナウイルスが広まった際、新宿区長と歌舞伎町のホストクラブのオーナーたちをつなぎ、「新宿モデル」と呼ばれる感染防止対策を整えた。
メディアに積極的に露出、ホスト業界のクリーン化を進める
森沢氏は、1990年代初頭の歌舞伎町のホストクラブの状況についてこう語った。
「当時のホスト界は、奴隷国のようでした。『はい』と『イエス』しか言っちゃいけなかった。暴力も横行していました。ノルマを達成できないと罰金など、とにかく搾取されていたんです。それまでのホストクラブは、それ単体では食える職業ではなくて、ホストを搾取するシステムでした。ホストは、お客の女性に食わせてもらうしかなかった。生きていくだけで必死でした」
そういった劣悪な労働環境を改善し、世間から偏見を持たれていたホストクラブ業界をクリーンにすることが、森沢氏のモチベーションになったという。
森沢氏は独立して、1997年に「ロマンス」というホストクラブを立ち上げ、オーナーになる。そこで行ったのが、給与改革とマスメディア戦略だ。ホストが、パトロンを見つけなくても食えるようなシステムを構築し、マスメディアに積極的に露出することで、ホストをアイドル化することに成功した。
「ホストが当たり前にご飯を食べられるような環境を作りたかった。それが、ホストクラブのイメージアップにもつながると思った」(森沢氏)
そんなホストブームの時代に、手塚氏はこの世界に飛び込んだ。中央大学中退のインテリながらホスト業界に興味を持った手塚氏は、後にホスト業界のクリーン化に挑むことになる。
「ホストによる事件などもあり、歌舞伎町とホストのイメージがとにかく悪かったので、ゴミ拾いのボランティアをするなどして少しでもクリーンになればよいと思って活動を始めました」(手塚氏)