私自身もこの時期、iアプリ向けのゲームを作っていた。ボードゲームを開発する会社を立ち上げたものの今ほど市場がなく、生活できるほどの儲けがなく暇を持て余していた。その時期に、公式サイトを運営している会社から声を掛けられて、シミュレーションRPGを開発した。
当時は、月に1本ぐらいのペースで、シミュレーションRPGを作ってはリリースしていた。そのライセンス料で安定して収入を得ることができたおかげで、作ったばかりの会社を潰さずに済んだ。
この時期はiモード以外にも、似たようなサービスがいくつもあった。日本では数社が携帯電話向けサービスや、アプリサービスを運営していた。日本だけでなく、海外でも、そうした動きが活発だった。
2004年のことだが、韓国で開催されたアジア向けのデジタルコンテンツの展示会に出展した。そこで私は、自作のモバイルゲームや開発環境をプレゼンした。来場者と色々とやり取りをして、日本だけでなく、韓国やシンガポール、そして各国に似たような市場があることを知った。
このときの出展に合わせて、自作のiアプリゲームをWebブラウザ上で動かすエミュレーターを作った。海外の人にiモード端末を用意してもらうわけにはいかないので、展示会後にメールでやり取りするのに便利だった。
そうしたエミュレーター開発の経験は、Androidが登場したときに、iアプリを Android 上で動かして移植するのに役立った。こうしたことができたのも、iモード向けのiアプリが Java で動いていたおかげである。
iモードやiアプリは、当時非常にエッジだったのにも関わらず、ベースとしては標準に沿ったシステムを採用していることが多かった。Webページも、HTMLの軽量版だし、アプリも、Javaの軽量版だった。
振り返ってみれば、モバイルとインターネットの融合、月額課金による公式サイトという派手な部分だけでなく、各社の参入を容易にするために気を使っていたのだろうなと感じる。私はその恩恵に与った。
iモードは、モバイルでのネット利用や、電子コンテンツの販売の黎明期を日本に作り出した。そして、サービスが終了すれば、そうした文化やコンテンツは丸ごと消えてしまう。
世の趨勢ではあるのだが勿体ないと感じる。デジタル時代になり、文化が残り難くなったなと、終了や閉鎖のニュースを見る度に思ってしまう。
<文/柳井政和>