――「音から作る映画」の第二作からは、『サロメの娘』(作:新柵未成)というオリジナルのテキストを用いていますが、その中では、いわゆる不貞の母や、母の不貞を受け容れる娘が描かれています。例えば、「お母さんがしょっちゅう男を取り替えていた」「ニセ父さんの首がすげ変わる」「一人の男に私をどうにかしてもらおうなんて思わなくなっていった」という表現です。それは、男性の不貞には寛容な一方で、女性に対して「聖なる母」を求めがちな日本社会を批判しているようにも感じたのですが、テキストを作るにあたって、どのようなオーダーをされたのでしょうか。
七里:2005年に起きたタリウム少女の事件(娘が母親に少しずつ毒を盛りながら観察日記を付けていた事件)以来、母娘問題が気になっていました。『サロメ』もある意味で、毒母と娘のストーリーとも読めるわけで、それが「不在の父」をめぐる「母娘関係」だということが分かったときから、テキストの方向性が決まりました。
七里圭さん
私は男性なので、母娘問題を根本的に、あるいは生理的に理解できるとは思っていません。ただ、いろいろ調べたり、女の人から話を聞いたり、考えたりするうちに、「母も、その母も、かつては娘だった」ということ、しかし「その娘が、母になるとは限らない」ということの二つは真理だろうと。そこに問題の深さがあり、それは男性には分かりようがないことだと分かりました。
余談ですが、iPS細胞があれば、XY遺伝子ではなく、YY遺伝子だけでも子どもを生むことができるようになると、ある人から教えられまして。ますます、男は必要ない存在になるだろうなとも思っています。
――3月のパリ公演では、吉増剛造さんを映像の被写体とした新作短編も上演されましたが、企画の経緯についてお聞かせください。
七里:4年ほど前から吉増さんが私の作品に興味を持って下さり、映画を見に来てくれたりしていました。そこで、2019年3月に愛知芸術劇場で檜垣さんと上演した『サロメの娘/アクースモニウム』にご招待したところ、いたく感激して下さり、何か一緒にやりましょうということになったんです。
檜垣:今のところ、「音楽詩劇」と呼んでいますが、吉増さんのパフォーマンスと音楽と映像が登場する舞台作品を作ろうと思っています。まだ、素材を作り溜めているところですね。
七里:形になるのは、まだまだ先になりそうですね。
――3月のパリ公演は満席となりましたが、観客の反応はどのようなものでしたか?
檜垣:今回は、私にとって演奏し慣れているMotusの素晴らしいアクースモニウムを使えました。大規模な装置を設営するので、演奏する頃にはヘトヘト…ということが多いのですが、今回はLe Cubeでの滞在制作ということで充分な設営時間があり、何より舞台技術を担当してくれた現地スタッフの献身的な仕事で、最高のコンディションで上演でき、演奏もとても満足いくものができました。
演奏中にはお客さまがグッと集中する瞬間を感じます。それはライブならではの一体感を味わえる瞬間であり、音楽家としてもっとも幸福な時間です。そして、その深さを感じることで公演への評価を体感しています。
実は『サロメの娘』では、演奏直後の拍手がまばらで、最初は音楽家として寂しく思いました。でも、どうやらお客様は作品が終わった瞬間は、突然夢から覚めて、なんだかわからない状況になってしまい、拍手もままならない状態になったようでした。それほど深い没入感があったということで、我に返ってから言葉にできるような感動がジワジワとやってきたと。だから終演後も、多くのお客様がエントランスに残られ、たくさん声をかけていただき、感想をいただくことができたんですね。感想に共通していたことは、アクースモニウムと映像による繊細さと手法の新しさ、そしてやはり作品そのものへの没入感の深さで、とても良い感触を得ました。
結果的にこの公演は、コロナの感染拡大の影響でフランスがロックダウンに入る直前の催しとなりましたが、そのことと結びつけて、「切断の物語である『サロメの娘』が重なり、象徴的にも思えた」という感想もいただき、そのことが印象に残っています。パリのみならず世界中がコロナ禍によって、あらゆる時間も空間も切断されることになりましたが、終演直後の、落ち着きのない、なんともいえない雰囲気を忘れることができません。
七里:そうですね。あのタイミングで無事上演に漕ぎつけた上にお客さんにも満足いただけたのは、大袈裟でなく奇跡的なことでした。私はその前週にベルリンでの上映もあったので、本当に大変でしたが、貴重な経験を積むことが出来ました。改めて、関係者のみなさんに感謝したいです。
――インターネットで自分の興味のあることにしかアクセスしない人が増える一方で、SNS等でも個人で情報発信が可能な現代においては、「作品」よりも「コンテンツ」が多く流通され、またその内容も消費者寄りになっている印象も受けますが、そのことについてはどう感じますか。
檜垣:自分が何らかの表現をして発信していくことはいいことだと思います。例えば、自分で作曲してYouTubeにアップするようなことが日々行われていますが、表現する行為自体が大衆化して、詠み人知らずの俳句が音楽の世界にもやって来たのかと感じています。
一方で、スケールの小さい表現が増えて来たという気がしていますね。そうした状況にあって、今回のパリ公演はスケールの大きい企画でした。
七里:確かに、表現が近視眼的になっている気がしますね。スマートフォンでも映画が撮影できる時代になったのですから、仕方のないこととは感じています。そして、デジタルは手軽にできることと引き換えに、下積みや修行、努力と研鑽、忍耐など、本来は表現にとって必要な段階を抜き取ってしまい、大切な何かを損なっているのかもしれません。けれども、デジタル化は映画だけでなく社会全体で不可逆な流れですし、私もデジタル機器を使った表現を今後もせざるを得ないでしょう。ですが、かつての映画がどのようなものだったかということは忘れないようにしていきたいと思っています。
<取材・文/熊野雅恵>
<撮影/日景明夫>
くまのまさえ ライター、クリエイターズサポート行政書士法務事務所・代表行政書士。早稲田大学法学部卒業。行政書士としてクリエイターや起業家のサポートをする傍ら、自主映画の宣伝や書籍の企画にも関わる。
●下高井戸シネマ 七里圭監督特集 のんきな〈七里〉圭さん
10月24日(土)から30日(金)まで
劇場HP
http://www.shimotakaidocinema.com/schedule/tokusyu/kei.html
公式HP
http://keishichiri.com/jp/events/nonkikei/
予告編
https://youtu.be/Xrx5K4zTVWM
●音から作る映画シリーズ一挙配信中
『映画としての音楽』『サロメの娘 アナザサイド(in progress)』『アナザサイド サロメの娘 remix』『あなたはわたしじゃない』
U-NEXT、Amazonプライム、iTunes、RakutenTV、GooglePlayにて
●最新作・映画版『清掃する女』追加上映
11月3日(祝)@三鷹SCOOL
http://scool.jp/event/20201103/