―― 菅氏は官房長官のとき、桜を見る会への批判を受けて、招待基準の明確化や招待プロセスの透明化を検討すると述べていました。しかし、新政権発足後、桜を見る会の来年以降の開催を中止すると表明し、会自体が中止になった以上、会のあり方を検証する必要もなくなったという姿勢をとっています。
吉井: いかにも菅首相らしい対応です。菅首相は官房長官時代、記者会見で
「そのような指摘は当たらない」、「全く問題ない」といった紋切り型の表現を多用し、コミュニケーションを遮断していました。今回の対応もそれとそっくりです。
菅首相はアメリカのパウエル元国務長官の著書『
リーダーを目指す人の心得』(飛鳥新社)が愛読書だと言っています。菅氏はパウエル氏が「記者には質問する権利がある、私には答えない権利がある」と言っていたことが参考になったと明かしています。つまり、彼には
最初から国民に向かってきちんと説明しようという気がないということです。
―― なぜ菅首相は頑なに桜を見る会の再検証を拒否するのでしょうか。
吉井: 招待者名簿が出てくるのを嫌がっているのだと思います。
政府は名簿を捨てたと言っていますが、絶対に残っています。菅首相もそのことはわかっているはずです。しかし、一度名簿は残っていないと言ってしまった以上、それがあとから出てくると、政権にとって大きなダメージになります。それを避けたいというのが本音だと思います。
それから、
政治家としての資質の問題も関係していると思います。たとえば、菅首相が「政治の師」と呼ぶ梶山静六元官房長官は、お兄さんが戦死されたこともあり、二度と戦争を起こさないために政治家を志したと言っていました。これに対して、菅氏はなぜ政治家になったのか、動機づけがはっきりしません。
一部では、菅首相が地方出身のたたき上げということもあり、田中角栄元首相と比較する見方もありますが、菅首相には田中元首相のような「東京に負けるか」といった情念は感じられません。現在の選挙区は横浜ですし、出身地の秋田にそれほど思い入れがあるようには見えません。菅首相は小此木彦三郎元通産大臣の秘書を務めていましたが、これも法政大学の学生のころに大学の学生課やOB会を通して紹介されたからで、どうしても小此木氏のもとで働きたかったから門を叩いたということではありません。
結局のところ、
菅首相は情報をうまくコントロールし、自分の権力を維持していくことにしか関心のない人なのだと思います。民主主義を守ることや、国民に対して説明責任を果たすといったことには、そもそも興味がないのでしょう。私はまだ菅首相の人物像をうまく組み立てられていませんが、彼が理想の国家像や社会像を持っているようには見えません。非常に異質な首相です。
―― 桜を見る会の問題は、政権が変わったからといって終わるものではありません。今後どのように追及していく予定ですか。
吉井: なんとか招待者名簿を手に入れたいと考えています。この問題は菅氏をはじめ、内閣官房の一部の人たちだけで対応していました。政府からすれば、その少人数の関係者たちだけしっかりコントロールすれば、情報漏洩を防ぐことができます。残念ながら現状では、政府の情報コントロールはうまくいっています。また、2014年に設置された内閣人事局がいよいよ軌道に乗ってきたため、情報統制が強まり、新しいネタを入手しづらい状況が生まれてしまっています。
しかし、先ほども述べたように、官僚たちはUSBメモリーなども含め、必ず名簿を残しています。関係者たちには勇気をもって招待者名簿を提示してほしいと思います。そうすれば、まだ日本の統治機構は腐敗しきっていなかったと希望を持てます。招待者名簿に誰の名前が載っているかよりも、名簿が出てくるという事実そのものに意義があります。
関係者たちには民主主義を守るためにも、ぜひ名簿を公開してもらいたいと思います。
(10月2日、聞き手・構成 中村友哉)
<提供元/
月刊日本11月号>