ベラルーシでの抗議運動のアイコンとして、白地に赤い線が入っている旗を抗議行動の参加者たちが持っている。この旗が持つ意味はなんだろうか。ちなみに、この旗は1991年のソ連崩壊によりベラルーシが独立してからルカシェンコ政権になるまで、1991年9月から95年6月までの間に使用されたものである。リトアニア大公国(1251~1795)の国章をもとにしたこの国旗はまた、1917年のロシア革命により、ロシア帝国が崩壊してから1年あまり存在したベラルーシ人民共和国のそれでもある。
「あの旗を掲げるのには様々な思いがあります。(抗議運動には)リトアニア大公国時代にさかのぼる歴史を重視する伝統主義者から、アナキスト運動までが含まれています。ベラルーシのアナキストは、ビラは配りますが、一目でアナキストとわかるような旗を掲げたりはしません。そんなことをすれば、ピンポイントで弾圧されますから。ただ、本当に最近では、デモ隊のなかにアナキストやANTIFA(アンチファ、ファシズム的な体制に反対するムーブメント)の旗を持ち込んでもいい、という話も出ていますが。
ベラルーシは警察国家で、人口1000人あたりの警察官の数がバチカンの次に多いのです。私服警官も多い。ならず者のように彼らは振舞います。ともあれ、
白地に赤い線の旗は『不正な選挙を拒否する』という幅広い人々の意志、そのアイコンであると思います。
一方でルカシェンコ派のデモも行われていますが、あれは国営企業の官製労働組合の人間を動員して行っています。たとえば、(首都の)ミンスクで集会を行うから、それに参加しなさい、と上司から言われて参加する、といったような」
そして、ベラルーシで広範な政府への反対運動が起こったのは初めてではないとも指摘する。
「最近になって初めて、大規模な政治的抗議行動が起こったわけではありません。1994~95年ごろから政治的抗議はありましたし、2010年にも『拍手革命』という抗議行動がありました。この『革命』の背景には、リーマンショック後の経済状況の悪化がありました。ストライキも行われています。先に述べたような官製労組とは別の、独立系の労働組合によるものです。不当な解雇に対する反対もありますし、最近では選挙の不正に抗議してのものが行われています」
先に述べた10月4日のデモには10万人が参加、300人以上が拘束されている。ルカシェンコ大統領の体制を支える警察の暴力なども広く報道されているが、それでも今回、大統領就任後もベラルーシの人々が抗議を続けるのには、社会全体に漂う閉塞感に対する怒りもある。
「社会の閉塞感があります。社会の上層にいるのは結局親が共産党の偉い人だったりとかもありました。ソ連型の官僚主義や管理機関はそのまま受け継がれ、労働組合などを通じて体制が支えられている。ルカシェンコの体制には共産“趣味”コスプレイヤーのようなところがあります。
教育でも大学に入ろうと思ったらベラルーシ共和国青年団(ソ連時代からあった共産党の青年組織、コムソモールをモデルにした団体、ルカシェンコ+コムソモールで「ルカモール」とも揶揄される)に入らないといけないぞ、と教師が言ってきたりとか。本当はそんなことはないのですが。
ルカシェンコはアイスホッケーを愛好しているのですが、共和国青年団をそれに動員するなどもあります。でも、この10年くらいで、街の雰囲気、人々の表情が明るくなっているのもまた事実です」
変化の背景にはインターネットで他の世界のことを知ることができるようになり、またヨーロッパ諸国に行きやすくなった、なども理由としてあげられるという。閉塞感がありながらも、一方で社会は変わっていく。
なお、いま述べられたベラルーシ共和国青年団は、官製労組と同じくルカシェンコ大統領を支持する側のデモに動員されたりなどもするが、もはやそれほどの力もなく、参加している学生が集団的に退団する動きもあるとのことだ。
「今回特徴的なのは、これまでとは違って抗議行動が、(首都のミンスクなど都市部だけではなく)全国規模になっていることです。自分の周りを見ても、これまでデモに行ったことのないような人、たとえば私の父親もそうですが、そういった人たちが抗議行動に参加しています。私もできるならベラルーシに戻って行動に参加したいですね。ベラルーシでこれほど多くの人が声をあげるのは不可能だと思っていましたが、けれども抗議行動は広がっているのです」
<取材・文/福田慶太>
フリーの編集・ライター。編集した書籍に『夢みる名古屋』(現代書館)、『乙女たちが愛した抒情画家 蕗谷虹児』(新評論)、『α崩壊 現代アートはいかに原爆の記憶を表現しうるか』(現代書館)、『原子力都市』(以文社)などがある。