本作にはさらにもう1つ、重要な物語の軸がある。それは、マイナーが誤って射殺してしまった男、その妻であるイライザの視点だ。
未亡人となったイライザには、お腹にいる赤ちゃんも含めて7人の子どもがいた。マイナーは彼女のためにアメリカ軍支給の年金を渡すよう看守に依頼をするが、当然のごとくイライザはそれを一度は拒否する。だが、その後のある出来事をきっかけに、イライザは援助の受け入れも考えるようになり、それどころかマイナーに”許し”を超え、“愛情”にも似た複雑な感情が芽生えていく。
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言うまでもなく、夫を誤って殺した男を許す、あまつさえ愛情を感じるなど、異常だと感じる方がほとんどだろう。だが、イライザにとってマイナーは家族の生活の支えとなる資金を提供してくれる上、字が読めない自分のために言葉を教えてくれる、大切な存在に“なってしまう”。そのことが、ただでさえ殺人というこの世で最も重い罪を背負ったマイナーをさらに苦しめる。自分が殺した男の妻の愛を得るなど、言語道断なのだから。
マイナーはタイトル通りに“狂人”とされる存在である一方、イライザとの関係からはむしろ“まとも”な倫理観を持った人物であることもわかっていく。こうした複雑な感情が交錯する人間ドラマとしても、本作は奥行きのある内容になっている。
なお、監督を務めたP・B・シェムランは、仕事への猛烈な献身、そこに孕む危険、時に生まれる浅ましさといった、人間の心理を見せるように尽力したと語っている。その証明というべきか、編纂の作業が進まず焦りを生みストレスが溜まっていく過程は緊迫感に満ちており、マイナーが緊急手術や精神科の治療を受ける様は目を背けたくなるほどに生々しくて痛々しい。彼らの苦しみや恐怖といった感情を余すことなく描いているというのも、本作の美点だろう。
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「現代に通ずる普遍的な物語とも言える」と前述したが、P・B・シェムラン監督は実際に「マレー博士と狂人マイナーが抱いた希望、野望、そして困難は、マーク・ザッカーバーグやスティーブ・ジョブズやビル・ゲイツが抱いたものと驚くほど似ているだけでなく、それを予兆したと言える。これは時代ものの映画ではなく、古い時代を舞台にした現代の映画だ」と、本作について語っている。
インターネットは同じ趣味や仕事を持つ人々をつなげ、ウィキペディアは編纂のためのクラウドソーシングを世界中に呼びかけ、FacebookなどのSNSや、iPhoneなどの電子機器も、その後押しをしている。確かに、そうしたことは『博士と狂人』での、マレーとマイナーが文通で友情を育む過程や、専門家ではない一般人からの力を借りようとする流れとも、似たところがあるのかもしれない。
本作で扱われる「オックスフォード英語大辞典(略称はOED)」は60万語以上、250万を超える用例集を収録した世界最大級の辞典だ。その誕生秘話を記した原作となるノンフィクション本は1998年に発行され、ニューヨーク・タイムズのベストセラーに入るなど大反響を呼んでいたという。
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本作で主演を務めるメル・ギブソンはこの原作に惚れ込み、構想に20年もかけて映画化を実現。当初は自身で監督も務めるつもりでもいたという。だが、その妥協を許さない姿勢こそが、限られた予算を主張する製作会社との軋轢を生むことになり、裁判にも発展してしまった。結果として、本作はアメリカでの公開の規模が縮小されるという憂き目にあったのだという。
その映画人としてのメル・ギブソンの姿は、そのまま劇中のOEDの編纂に人生を捧げたマレー博士と重なるところもある。その労作ぶりと、作り手の溢れんばかりの情熱は、劇場のスクリーンからも存分に伝わってくるだろう。
<文/ヒナタカ>