世界の潮流に反してなぜ日本はこれほど大麻規制が厳しいのか? 規制の歴史を振り返る

War on Drugs と無視され続ける科学的データ

 日本に大麻取締法を押し付けたアメリカで今、急速に大麻合法化が進行しているのは皮肉なことですが、そこには長い闘いの歴史があります。  1937年のマリファナ課税法制定以降、アメリカでは猛烈な反マリファナキャンペーンが政府によって繰り広げられ、マリファナを吸うと幻覚を見たり精神に異常をきたしたりし、凶暴になって犯罪を犯す、というプロパガンダが大々的に展開されました。  1971年、ニクソン大統領は「War on Drug(麻薬撲滅戦争)」を宣言し、レーガン大統領時代には、ナンシー夫人が先頭に立って「Just Say No(とにかく No と言おう)」キャンペーンが始まりました。(日本の「ダメ、絶対」はここから着想を得ているのかもしれませんね。)  その一方で、メキシコやコロンビアからの大麻の密輸が途切れることはなく、アメリカでは大麻の入手は比較的容易であり続けました。1950年代にはビートニクスと呼ばれるインテリ層がマリファナを擁護し、1960年代に入るとマリファナは白人中産階級の若者に広く普及し、やがてベトナム反戦運動と深くつながり、反体制の若者のたちが掲げる価値観の象徴ともなっていきました。  マリファナを違法薬物にしておくために科学的な根拠を意図的に無視する姿勢は、現代の日本に始まったことではありません。アメリカでも、1944年の「ラ・ガーディア報告書」、1972年の「シェイファー委員会」による報告書、1976年と1980年の国立薬物乱用研究所(NIDA)による報告書、1982年の米国科学アカデミーによる報告書、1988年の麻薬取締局(DEA)判事による判決など、政府の依頼で科学者が行った数々の調査の報告書が一様に、大麻は人体に害を及ぼさないばかりか医療効果があり、さらなる研究が行われるべきであると結論しています。ところがその一つとして政府は耳を貸さず、科学者の忠告が受け入れられることはありませんでした。  それではなぜアメリカでは現在 33州で医療大麻が、うち 11州では嗜好大麻も合法化されているのでしょうか。

経験・世論・直接立法型住民投票が推進するアメリカの大麻合法化

 大麻が人体にどのような仕組みで作用するのかについての科学的研究が本格化したのは 1990年代になってからのことです。1960年代には、大麻の喫煙が人間をハイにするのは THC という含有成分のせいであるということがかろうじてわかっていたにすぎませんでした。  それでも、大麻がさまざまな疾患の症状の緩和に効くことを、人々は大昔から経験として知っており、それが民間医療として古代から世界中で大麻が使われてきた理由です。  1930年代に使用が禁止されてからも比較的多くの人が大麻を使い続けていたアメリカ(2017年に行われた世論調査では、18歳以上のアメリカ人の 52%が過去に大麻を使用したことがありました)では、ベトナム帰還兵の PTSD、抗癌剤治療による激しい吐き気の軽減、1980年代に突如として流行したエイズによる消耗症候群などの改善に大麻が効くということを経験的に知っている人が多く、彼らが声をあげたことが合法化活動を押し進めました。  アメリカの多くの州には住民投票制度があります。発案、評決などいくつかの形がありますが、イニシアチブと呼ばれる発案の制度とは、「住民が署名を収集して請求を行い、助言的意見、議案、法律案または憲法修正案を提案し、その賛否を問うために住民による投票を行う」直接立法型住民投票です。  イニシアチブを住民投票にかけるために必要な署名の数はその州の人口や登録有権者などいくつかの要素で決まりますが、たとえば今年カリフォルニア州でイニシアチブを住民投票にかけようとすれば 99万7139人の署名が必要です。決して簡単なことではありませんが、住民投票の結果その法案が可決すれば、法律が成立するのです。  現在、アメリカで嗜好大麻が合法化されている11州のうち、9つの州では住民投票によって合法化が決まっています。最初に合法化されたのは 2012年のワシントン州とコロラド州です。筆者は 2015年にコロラド州の大麻合法化の状況を視察し、管轄省庁の職員や大学の研究者の話を聞く機会がありましたが、「民意(住民投票)によって医療・嗜好大麻が合法化され、州の管轄下に置かれることになったものの、その円滑な運用に必要な研究やデータ収集が事前に行われていない、また現在もそれを行うのが難しいという状況に困惑している」という言葉が印象的でした。  つまりアメリカでは、大麻の使用経験と日々更新される科学的知見がまずは世論を動かし、民意が大麻に Yes と言い、政治がそれを追いかけているのです。最新の調査では、アメリカ人の66%、3人に2人が大麻の合法化に賛成しています。  翻って我が国ではどうでしょう。住民投票による立法という手段を私たちは持ちませんが、仮にそれが可能であったとしても、世論の大方は大麻に対してひどく冷淡です。大麻の安全性や医療効果に関する情報はインターネットを探せば山のようにあるのに、「ダメ、絶対」の呪縛にがんじがらめになったまま、「なぜ」大麻が禁じられているのか考えてみようともしない人があまりにも多いように私には思えます。  大麻取締法が制定された 1948年には、大麻が持つ精神作用がTHCという化合物によるものであることも、人間の体の中にエンドカンナビノイド・システムという大麻草の成分が作用する仕組みがあり、それが大麻の医療効果を発揮させる経路となっているということも、まだわかってはいませんでした。  一方、厚生労働省が大麻を禁じる理由に挙げている、依存性がある・精神疾患を引き起こす・他の薬物使用の入口になるといった理論は、現代科学によってことごとく否定されています。  大前提となる科学的知見が現在とはまったく違っていた72年前に外国に押し付けられた法律を、日本がなぜ後生大事に守り続ける必要があるのでしょうか。取り締まる側に、科学的知見を無視してでも守りたい何があるのか、ここで憶測することはしませんが、あるいはこれは、「ダメ・絶対」キャンペーンによって、取り締まる側も取り締まられる側も含めて日本人の思考が停止してしまっている証ではないのでしょうか。世論を形作る日本人の一人ひとりに、是非一度考えてみていただきたいと思います。 <文/三木直子>
国際基督教大学教養学部語学科卒。翻訳家。2017年に医師・正高佑志とともに Green Zone Japan を設立し、理事・プログラムディレクターを務める。1年のうち数か月をシアトル郊外で過ごし、アメリカの医療大麻事情について取材を行っている。訳書に『CBDのすべて:健康とウェルビーイングのための医療大麻ガイド』(晶文社)『マリファナはなぜ非合法なのか?』(築地書館)その他多数。
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