ダサいだけならまだいいが、中には一言付け加えたばかりに、映画の結末を観客に予想させてしまうものまである。それが『沈黙、愛』(2017)である。
この映画の原題は『침목(沈黙)』である。
大手ゲーム会社の代表であり、投資ブローカーとしても活動しているイム・テサン(チェ・ミンシク)の婚約者で著名な歌手のユナ(イ・ハニ)が殺害され、彼の娘ミラ(イ・スギョン)が殺人容疑で逮捕されるが、イムは娘の無実を証明するために独自に調査を始めていく……というストーリーである。
犯人は誰なのか?真実は一体何なのか?という先の読めないドキドキハラハラ感が本作の魅力の一つであるが、クライマックスに、これはどうなるんだろう?と思った時、“タイトルに愛が入っているから、こういう結末なのでは?”と予想できてしまった人は少なくないのではないだろうか。
また、韓国版のポスターと日本版ポスターで大きく違う点がある。
韓国版では「その日何があったのか必ず知らなくては」という力強いキャッチコピーにふさわしく、主演チェ・ミンシクの、こちらを見つめる鋭い視線が印象的だ。一方、日本版では「愛する恋人が殺された。容疑者は最愛の娘。娘は本当に犯人なのか?」と不安げなキャッチコピーとともに、悲痛な表情を浮かべたチェ・ミンシクが映し出されている。
ネタバレになってしまうので多くは言えないが、クライマックスに分かる、主人公の選択を見れば、韓国版のポスターがピッタリだということが分かって頂けると思う。
他にも例を挙げればキリがないが、共通して言えるのは、韓国映画が日本に来ると、タイトルもポスターも分かりやすくしようとすることで、逆に誤った作品のイメージやメッセージを植え付けてしまったり、原題や韓国版ポスターの持っているセンスやテイストを損なってしまっているということだ。
ある配給会社の社員によると、原題や韓国版ポスターのニュアンスを尊重しようとしている社員ももちろん多いが、決定権のある年配の男性陣に、「とにかく分かりやすく」というのを常に要求されるという。
そして、彼らの、分かりやすいタイトルやポスターでなければならないという考えの裏には、日本人の映画離れもうかがえるかもしれない。
作品のテイストやメッセージを正確に伝えてくれるタイトルとポスターになることを願ってやまない。
<文/平良旺子>