安倍政権は規範の効力を失わせ、「権力者への道」に連なる者たちにとっての我が世の春を実現した。しかし、その権力を7年半にわたって持続させた原動力は何なのか。過去記事でも触れたが、新約聖書、第二テサロニケ書簡に出てくるカテコーンという概念は、このもう一つの機能を説明するために役に立つ。
カテコーンとは、「不法の子」と呼ばれているアンチ・キリストを抑える者のことである。「主の日」すなわち世界の終わりが訪れるには、まず「不法の子」の登場が必要なのだ。「不法の子」が世界を混乱に陥れた後、現れた真のメシアがそれを取り除き、そのあとで世界の終末がやってくる。
世界を混乱に陥れる「不法の子」をカテコーンは抑止している。だが、「不法の子」がメシアの再臨のトリガーであるならば、カテコーンは結果として世界の終末を遅延していることになる。
世界の終末を示すものが至福であれ破局であれ、それを世俗的な意味で解釈した場合、遅延する力というものが持つ政治的求心力を考えざるをえない。たとえば安全保障の議論で用いられる「抑止力」という言葉は、やがて訪れるかもしれない全面戦争という終末を前提として、それをいかに遅延させるかということに尽きるのである。
この7年半、安倍政権は政権の延命のために、DPRKの脅威を上手く利用してきた。宇宙空間を飛んだDPRKの「飛翔体」について、安倍政権は「日本の上空」を飛んでいるとしてけたたましくアラームを鳴らし、落下したときを想定した訓練までやらせた。戦争の危機を煽ることで、自らをその遅延者に定位することができる。事実、2017年に、安倍政権は森友問題が原因で大幅に下がった支持率を回復することができたのだ。
一方で「遅延する力」が働いているという認識は、あらゆる政策が成就しないことについて、それを失敗だと感知させない効果をもたらす。たとえばアベノミクスは永遠の「道半ば」である。2013年、日本銀行は2年間で2%のインフレ目標を掲げた。インフレの実現は、デフレ脱却を掲げる安倍政権の経済政策の、最重要項目であるはずであった。
しかし2%のインフレは2年間で達成できず、先延ばしにされたあげく、2018年にはついにインフレ目標達成時期は削除された。インフレ目標はひたすら先延ばしにされることで、経済政策の失敗と認識されることを防いでいるのだ。
それ以外の政策でも、実現時期が無限に遅延させられていくのが安倍政権の特徴だった。北方領土交渉も、数十回会談を重ねた後で、むしろ状況は悪化しているのに、御用コメンテーターが「安倍総理とプーチン大統領は信頼関係を築いたので交渉はこれから」と言い出したのには閉口した。
安倍晋三はあらゆる不祥事や不人気政策について「丁寧な説明」をすると繰り返し続けたが。しかし「丁寧な説明」をする時期は先延ばしにされ続けたあげく、やがて市民は忘れ、うやむやにされていったのだった。
安倍政権の7年半は、法の効力が停止され、あらゆることが遅延された「例外状態」の中で、「控えの間」の廷臣たちが好き放題する時代であった。その時代の終焉が、疫病という誤魔化しが効かない危機であったことは象徴的だ。にもかかわらず、後継である菅政権は安倍路線を継続するつもりなのである。
今、選択肢はふたつある。安倍政権によって停止させられていたあらゆる規範を復活させ、新規巻き直しの時代をつくるのか、それとも遅延しきれない破局が訪れるまで、この時を生き続けるのかである。いずれにせよ、その選択を行うのは権力者ではなく市民なのである。
<文/藤崎剛人>