肉体労働者から作家に成り上がった男は、なぜ「成功の犠牲者」だったのか? 映画『マーティン・エデン』の描く普遍性とは
『マーティン・エデン』が公開されている。
本作は『野生の呼び声』や『白い牙』などで知られるアメリカの作家ジャック・ロンドンによる自伝的小説の映画化作品だ。『野生の呼び声』は2020年2月にハリソン・フォード主演の実写映画が日本公開されていたので、記憶に新しい方もいるだろう。
『マーティン・エデン』は、一見するとお堅い文芸作品のように思えるかもしれないが、実際は現実と理想の間で苦悩するアーティストの姿を追うわかりやすい内容であり、同時に「誰にでも共通する」普遍的な物語でもあった。具体的な作品の魅力を解説していこう。
イタリア・ナポリの労働者地区で生まれ育った青年マーティン・エデンは、船乗りとしてその日暮らしを送っていた。ある日、暴漢に絡まれていた良家の子息を助け、そのお礼にと彼の住む屋敷に招かれたマーティンは、若く美しい女性のエレナと出会い、瞬く間に恋に落ちる。マーティンはエレナを取り巻くブルジョアの文化と教養の世界にも強い憧れを抱き、内に秘めていた文学への関心に目覚め、独学で作家を志すようになる。
もちろん、作家として大成するまでの道程は簡単ではない。マーティンは船のトラブルで乗務契約を打ち切られ、過酷な重労働を強いる鋳物工場の仕事も横暴な雇用主への怒りにより辞めてしまう。自由の身になった後は姉の夫婦の家で間借りをするが、教養を得るために受けた高校入学の試験には受からず、寝る間も惜しんで執筆した作品を出版社や雑誌に送り続けても、一向に採用の知らせはない。次第に生活は困窮し、恋人になったエレナとのすれ違いも増していく。
物語の一側面を切り取れば「若い男がきっかけを得て、一心不乱に夢に向かって進んでいく」というサクセスストーリーだ。だが、マーティンに立ちはだかる障壁と挫折はあまりに大きく、どこか退廃的で湿り気を帯びたような画作り、美しくも不安を感じさせるナポリの街の風景とも相まって、作品世界は暗い方向へ向かっているような雰囲気もある。
しかも、マーティンが障壁と挫折を乗り越えたとしても、その過程で彼は姉夫婦や恋人のエレナの信頼など、様々なものを失っていく。決定的なのは、政治的関心が強かったがゆえに、たまたま連れてこられた社会主義の集会で演説をしたことで、翌日の新聞に「社会主義の扇動者だ」と批判されたことだ。
これをきっかけとして、マーティンとエレナの家族との関係は、修復不可能なほどに壊れてしまう。作家が政治的・社会的な批判精神を持っていて、それを軽々しく世に訴えたために、周りと折り合いが悪くなる……というSNSのある現代でもよくあることが描かれているのは、とても切ない。
このように、本作はサクセスストーリーと単純に言ってしまうのは憚られるほど、物語の裏に大小さまざまな悲劇がある。挫折と栄光、成功と失敗、理想と現実……これらの事象は正反対であるようで、実は表裏一体でもある。そんな人生の悲喜こもごも、特に絶望的な心情をたっぷりと味わえるのが、この映画『マーティン・エデン』だ。
主人公のマーティン・エデンを演じるのは、イタリアを代表する俳優の1人であるルカ・マリネッリ。本作は2019年ヴェネツィア国際映画祭にて、『ジョーカー』(2019)のホアキン・フェニックスを抑えて、男優賞に輝いた。
そのルカ・マリネッリの熱演は圧巻の一言。端正な顔立ちと色気たっぷりの存在感、次第に憔悴しきっていく表情の変化、そして感情を荒げた時の迫力。むき出しの狂気を見せる一方で、繊細な内省をも全身全霊で表現している。
完全に同列で語るべきではないだろうが、その役柄も『ジョーカー』に共通しているところがある。貧しい生い立ちと、社会でうまく生きられない疎外感、それでも夢を追い求めるが、様々な壁にぶつかってしまい、時には絶望もする。視聴者をそんな主人公に大いに感情移入させ、心から彼の幸せを願いたくなるということも、『ジョーカー』のホアキン・フェニックスに重なって見えたのだ。
なお、ルカ・マリネッリは近年では『皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ』(2015)で悪役に扮していたり、Netflixで独占配信中の『オールド・ガード』(2020)では不死身の戦士を演じたりもする。本作と合わせて観て、俳優としてのさらなる魅力を見つけてみるのも良いだろう。
9月18日より映画絶望にまみれたサクセスストーリー
『ジョーカー』を超えた熱演
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