貧困、DV、虐待……スケボー少年たちを通してアメリカの今を描く『行き止まりの世界に生まれて』

© 2018 Minding the Gap LLC. All Rights Reserved.

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 ”アメリカで最もみじめな街”イリノイ州ロックフォードに暮らす3人の若者たちを追った、ビン・リュー監督作『行き止まりの世界に生まれて』。  同作は、ビン監督自身をも含む、スケートボード少年3人のドキュメンタリー。彼らの生活を通して、貧困、DV、児童虐待、人種差別などアメリカ社会が抱える問題点を浮き彫りにすると同時に、その環境から脱しようとする若者たちの姿をすがすがしく描く力作だ。

スケートボードを頼りに生きる3人

 本作の舞台はアメリカイリノイ州ロックフォード。ラストベルト(the Rust Belt)と呼ばれる地域にロックフォードはある。ラストベルトはその名の通り、「さび付いた帯状の地帯」。アメリカ東部から中西部にかけての五大湖周辺を指すが、かつては製造業や重工業の中心地だった。  本作の主人公たちの親の世代は、高校を出て大企業の工場で働けば小さな庭付きの一軒家を買えた。日本の高度成長期と同じく、頑張ればより良い明日が手に入る。小さなアメリカンドリームを皆が信じて、そしてそれぞれに実現していた。  ところが、アメリカの製造業は斜陽を迎える。1980年代から人口は徐々に減少、廃墟となった工場があちこちに目立ち、豊かさの代わりに、犯罪や暴力、薬物が日常的に横行するようになった。2016年のアメリカ大統領選の「アメリカをもう一度偉大に(Make America Great Again)」というキャッチフレーズが住民に最も刺さったとも言われる地域でもある。
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 そんなラストベルトの一角に住む黒人のキアー、白人のザック、そして本作の監督でもある中国系のビン。彼らは人種こそ違えど、DVや体罰など暴力が絶えない家庭で育った。  大人になっても彼らの将来に明るい展望はない。産業が衰退し、アメリカの繁栄から取り残されたロックフォードにはそもそも働き口が少ないのだ。  プロスケーターを夢見るキアーが初めて就いた職業は皿洗い。手に職がないため他に選択肢はなかった。ザックは仕事先でのシフトを増やしてもらうことができず、いつも給料日の1週間前にお金が尽きてしまう。屋根職人以外の選択肢を得るために高卒認定試験を受けるが、質問すら理解できない。「最近やけに不安なんだ」と将来を憂う姿が映し出される。  荒れた家庭、先の見えない将来。そこから束の間の休息を得るかのように、彼らはスケートボードに熱中していた。  「傍から見ればバカみたいだろうけど、スケボーは制御(コントロール)だ。細部までコントロールしないと、イカれた世界でマトモでいられない」と語るザック。  ビン監督は自分と、そして自分と同じくスケボーに救いを求める仲間2人、合わせて3人の少年時代からの12年間をカメラに収めた。苦境に直面しながらも何とかそれをクリアしようとする姿は、スケードボードで「ギャップ=段差」を乗り越えようとするする姿そのものと重なるものだった。

カメラに映し出される不幸の連鎖

 映画が進むにつれて、キアー、ザック、ビンそれぞれが、親子問題においてトラウマを抱える姿が浮き彫りになる。  両親の別居後、父親に引き取られたキアーは、厳格な父親の体罰に耐えかねて家を出た。    一方で、キアーの父は「白人の仲間がいても黒人ってことを忘れるな」「黒人はいいぞ。毎日世間を見返してやれる」など、キアーに黒人として生きることの過酷さを伝えていた。  © 2018 Minding the Gap LLC. All Rights Reserved. 父親の死後、父親の想いや彼を失ったことの大きさに気付き、過去の態度を悔いるキアーの無念は、カメラを通じてヒリヒリと伝わってくる。  23歳のザックは、21歳の恋人のニナとの間に子どもができるが、子育ての役割分担でニナと揉めてばかり。そして、カメラは眉の脇の傷跡と共にザックから受けた暴力を告白するニナを映し出す。家庭不和ゆえに愛情に飢えていた幼少期を振り返るニナ。  一方、ザックも2歳の時に母親が家を出て行き、不安定な環境の中、父の義母に対する暴力を見て育った過去を語る。ザックは自分をコントロールできずにアルコールに手を出していた。二人はやがて別居し、ニナは叔母夫婦の家で子育てを始めるが、彼女は皮肉にもそこで初めて「家庭の温かさ」を味わうのだった。  そして、ビンは自らにもカメラを向け、疎遠だった母にインタビューを行う様子を撮影する。ビンが8歳の時、ビンを連れてロックフォードに来た母親は、身体的にも精神的にも暴力をふるう男と再婚。母親は夫に首を絞められて警察沙汰になった過去を語り、ビンや義弟のケントも思い出すと震えが止まらない程の暴力を振り返る。自分たちに対する暴力を知っていたのかと問いただすビン監督に対して、母親は涙ながらに答える。 「彼が陰でそこまでひどいことをしていたとは知らなかった。やり直したい。」  そして、「自分は両親のケンカを見て育ったから結婚したくなかった。でも、そうはならなかった。子どもが欲しかったし、1人はイヤ」と続けた。  夫やパートナーによる暴力に対して、ビンの母親もニナも声を上げようとはしない。理由は様々だが、共通するのは「(夫やパートナーは)優しい時もある」「自分が我慢すればいい」「ひとりが怖い」というものだった。ひとりでは経済的に自立できないということもあるだろう。  では、人はどのようにしてこの不幸の連鎖から抜け出せるのであろうか。本作を見て感じたのは、自分を客観視することの大切さだった。  ビン監督にカメラを向けられた登場人物たちは、自分の育って来た環境を時に悔しそうに、そして涙ながらに振り返る。その行為自体は見ているこちらも苦しくなるほどの残酷さを伴うものだ。  しかし、彼らは過去に向き合った後、過去から続く今の自分が何をなすべきかを見つけている。キアーはビン監督の撮影を「無料セラピー」と呼んだ。そして、ビン監督自身もこの映画で過去と決別しようとしていることがわかる。
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スケートボードが与える効果
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