MacBook Proと、サムスンのスマホを愛用する北朝鮮の幹部学生
その中で彼が最も大事にしていたのは、彼のMacBook Proだった。将軍様も使っていたからか(錦寿山太陽宮殿にいくと金正日が列車の中で使っていた様子がわかる)、かろうじて入手したからかはわからない(平壌の電子製品商店と「技術情報交流所」で外国産PCが容易に手に入るが、アップル製品はなかった)。
しかしそのデスクトップはカルフォルニアのヨセミテ渓谷の名山ではなく、平壌のカレンダーに挿入できそうな凱旋門の端正な写真だった。彼はMacBook Proを自身の大事な子供であるかのように熱心に自慢していた。
それでも彼の自慢のMacBookには一つだけ問題があった。彼はアプリについて多くの関心を抱いていたが(アプリを開発する抱負をしきりに吐露し、外国のアプリについて質問していた)、インターネットなしには新たなアプリを設定できず、システムも更新できなかった。それで彼は我々に妙な頼み事をした。
彼のMacBook Proを文繍洞外交団(外国人の居住エリア)に持っていき、そこにあるインターネット(当時、留学生宿舎にはまだインターネットルームが開設されていなかった)に繋いでアップデートしてくれということだった。
しかしそれを手伝おうとしても、インターネットの速度があまりに遅かったため失敗に終わった。ただ、彼がそのように、自身の宝物を我々に託したのは印象深い出来事だった。彼が我々にどの程度の信頼を持っているかを示してくれたからだ。
MacBook Pro以外にも、彼はサムスンのスマートフォンを利用していた。彼の部屋がいかに立派だったかは、もともとベッドを二つ置くはずの寝室に一つのキングサイズベッドを置いていたことからも窺えた。
その部屋には装飾がほとんどなく、唯一「世界政治地図」が隅っこに張られ、壁を占領していた。その地図には世界各国が多彩な色で塗り分けられていたが、アメリカと日本だけが灰色で描かれていたことは重要な暗示であるように見えた。
いずれにしろ我々はその部屋でたびたび集まり、気軽に話をした。最初、私はその時間を楽しんでいたし、外国人として寂しさを感じやすい平壌で、私は彼を友人であると思っていた。
他の同宿生たちは我々と親しくなることを恐れていたが、彼とは普通の人同士のように会話できたことは慰めになった。話題はさまざまだったが、現地人のようにカジュアルで自然なものが多かった。彼は他の同宿生とは違い「偉大な首領様」についての賞賛を熱心に反復することなどなく、外の世界にいる「普通の人」と同じような印象だった。
我々の友情は正常であった。彼が時折我々を外のレストランに連れ出し、奢ってくれたりもした(他の同宿生たちは何故か我々と外出することはできなかった)からだ。
私は彼をまともな人間とみなし、平壌で開催した私の結婚式に招待した。私はそのときまで、彼の偽善に気付けなかった。ただひとつ、彼の中国人に対する態度に裏表があると感じていたのみだった。
彼は中国人留学生の前では非常に礼儀正しく振る舞ったが、いなくなると中国人と中国をしばしば罵った。実際、それは特に異常なことではなかった。私が出会ったほとんどの朝鮮人民が中国に対してはそのような態度だった。ひとしきり朝中親善を熱心に語っては、その直後に中国を罵る。
私はずっと以前から、北朝鮮の人々が好いているのは中国人のお金であることを知っていたため、同宿生の中国人ヘイトを聞いたときも特に心配はしなかった。
彼は他の同宿生と同じく、インターネットで報じられる国際ニュース、特に朝鮮半島ニュースに関心があった。彼は我々の意見を興味深く聴きながら、珍しく自身の意見を言うこともあった。
親切で開放的であるように見えた彼は、日本人の妻を持っていた私に対し、日本に対する意見を一度、開陳したことがある。
彼は「私たちが恨んでいるのは日本人ではなく、日本の軍国主義的政府だ」と「進歩的な」立場を表明した。そんなある日、西欧からきた留学生がこんなことを私に言った。
友人「アレック、あの同宿生についてなんだが。ごめん、君には聞き辛いだろうし……放っておくか僕も悩んだんだ。どうすればいい?」
私「聞かせてくれ」
次回、友人の口から聞かせられた話についてお送りする。
<文・写真/アレック・シグリー>