2019年12月、「山口県の総理大臣展」が山口県庁で開催された。初代総理大臣伊藤博文、安倍首相の祖父岸信介、上記の桂太郎、佐藤栄作らが並ぶ中、安倍晋三のパネルもあった。
一方、宇部出身であり民主党政権下で総理大臣を務めた
菅直人のパネルはない。県の担当者は「戦前は出身地、戦後は選挙区という首相官邸の区分に従った」と言う。いかにも恣意的な区分だ。
調べてみると、この区分は首相官邸の
HPには2007年になってはじめて登場していることがわかった。2007年とは、まさに
第一次安倍政権下である。
つまり、山口県が東京生まれ東京育ちの安倍首相を「県民の代表」と持ち上げる一方で、安倍首相もまた「山口県の代表」たりたがっているのだ。その結果、宇部出身宇部育ちの菅直人元首相が「山口県の総理大臣」から外れた。2010年に菅首相が誕生することは2007年の時点では分からなかったので、もちろんこれは狙って外したわけではない。
とはいえ、そのようなイベントを行うのであれば、総理の数は一人でも多い方がよいと考えるのが普通だ。また、「山口県の総理大臣展」を開催する際、別に戦後は選挙区という首相官邸HPの「原則」に従う必要もないので、やはり山口県庁にとっては菅直人が地元の総理大臣であってはまずかったのだろう。山口県は、県知事をはじめ、市町村長も含めすべて自民党である。
安倍首相が記録を更新した8月24日は、むしろ首相の健康問題および進退問題に注目が集まっており、山口県が行った祝賀についてはあまり報道されることはなかった。しかしこれは
地方自治体自身が、自らの国家との関係をどのように捉えているのかという問題として、関心を集めるべきであった。
戦前の大日本帝国憲法のもとでは、地方自治に関する記載は無く、地方自治体はいわば帝国政府の下請機関にすぎなかった。しかし、新しくつくられた日本国憲法は
地方自治を憲法において保障しており、国と地方自治体は対等の関係にあるとされている。
そのような
地方自治体が、行政府の長に対して、あたかも君主の長期在位を祝賀するような(世襲君主の長期在位を祝賀することそのものも、たとえそれが元首であれ象徴であれ、民主主義国家の振る舞いとして正しいのか、という問題は置いておく)行事を企画してしまったことは、もっと問題にされてよいはずだ。
手垢のついた議論ではあるが、近代以前の日本では、公とはすなわち公儀のことだった。つまり「
お上」だ。明治維新は上からの近代化政策であり、戦後の日本国憲法体制は「
配給された自由」市民であった。市民が対等の立場で参加する水平的な公共空間を、日本人は自らの手でつくれてはいない。
従って、県庁という地方「公」共団体でさえ、自分たちが依るべき立場と、行政府の長に対して向き合うべき立場を間違える。総理大臣の権威をあたかも君主か何かのそれのように扱ってしまうのだ。