私が時々話をしていた、男性の同宿生は学部生で、朝鮮歴史の専攻をしていた。
ある日、寄宿舎から金日成総合大学に行く道で彼と偶然会った。我々は同じ方向に向かっていたため一緒に歩いた。彼は歴史学の教科書を抱えていたのだが、私は会話がてら、歴史学の授業で何を勉強しているのかと聞いた。
同宿生「李朝封建王朝時代を勉強しています」
彼はそう言ったが、北朝鮮では朝鮮時代が依然として展開されているため、南朝鮮のように「朝鮮時代」と呼べないのではないだろうか。
私は韓国の西江大学校で習った韓国史概論の授業を思い出した。その時期について何を勉強したのだろうか? 私は記憶を手繰り寄せた。
私「あー、私もその時期の歴史を大学で勉強したことがあります」
同宿生「ああ、すごいですね。わが国の古代の歴史を大学で勉強したとは」
私は韓国での交換留学の際に習ったとは言わなかったが、最も印象的なことを言った。
私「はい、我々は李朝時代の士禍(※編集部注 李朝時代に起きた、官僚同士の派閥争いとそれに伴う粛清事件)をたくさん勉強しました。本当に興味深かったです。私は朝鮮歴史の授業を非常に楽しみました。」
同宿生「士禍?」
彼は戸惑った表情だった。
私「はい、はい両班の文人たちが儒教の哲学をもとに企てた政治紛争でありました。派閥がいくつもあったのですが私の記憶では士林もあったし、南人と西人、そして老論と少論がありました」
私は李基白の韓国史新論で読んだことをかろうじて記憶していた。
同宿生「我々はそんなことを習いません」
私は理解できなかった。
この同宿生が勉強をあまりしないのか(実際、彼は常に携帯で誰かと話していたし、勉強よりビジネスにより関心が多いと言う印象だった)、あるいは北朝鮮の朝鮮時代の歴史の授業では士禍を教えるのか、そうでないのか。
後者であればおそらく王朝や社会のエリート階層から沸き起こったことよりも、農民そして庶民の生活をより重視するのだろうと言う推測をした。
いずれにしろ私は南と北、そして私と彼らの間の違いを改めて感じざるを得なかった。
<文・写真/アレック・シグリー>