コンテのこのバランスを取るのがうまい秘訣は彼が弁護士として活躍した時に培われたようだ。しかも、彼には敵がいないし、敵ができないほどに温厚派でもある。しかし、物事の本質をつかむのは非常にうまく、それでもって相手を説得していくタイプだとされている。
また、法学の専門家ということで書類の詳細まで把握し、合点の行かない箇所があればそれを変えるのに1時間でも2時間でも議論し続けることを厭わない人物だとされている。
ということで、今回のEU首脳会議においても自分が納得する結果が得られないようであればイタリアには戻らないという姿勢で臨んだという。だから、イタリアやスペインへの支援を渋るオランダのルッテ首相に対しても、「あなたがEUの崩壊を導く張本人になるかもしれない」と述べて、ルッテ首相の頑固さにくぎを刺した場面もあった。「コンテの抵抗力と仕事をこなす能力は異常なほどだ」と側近の一人が語っている。
「よく聞く姿勢ももっていて偏見がない」と他党からの評価
民主党出身の閣僚のひとりは「彼はよく聞く姿勢ももっていて偏見がない。考えを変えればより価値あるものが達成できると判断できれば、それを変更することに抵抗なくできる。だから閣僚会議はいつも長時間かかるのだ。ベルルスコニーの時は数分で終わっていた」と述べている。(参照:「
El Pais」)
今回のEU首脳会議でもコンテは常にメルケル独首相とマクロン仏大統領を味方につけた。更に、スペインのサンチェス首相とは緊密に連絡を取り合っているという。コンテには相手が猜疑心を持たずに接触できる魅力があるということだ。
さらに、最近のイタリアの首相に欠けていた要素、つまり「バチカンを味方につける」ことをコンテはなし得ている。コンテがローマで法学を修学していた時のビーリャ・ナザレス学生寮での仲間の一人がバチカンのフランシスコ法王の右腕ピエトロ・パロリン枢機卿であった縁からバチカンともコンテは強いパイプをもっている。パロリン枢機卿は現在バチカンで国務長官のポストにある。これまでの首相でバチカンと強い絆をもっていたのはジュリオ・アンドゥレオティーとロマノ・プロディーだ。この二人はイタリア政界で重鎮だった。
現在のコンテの国民からの人気は1994年第一次内閣を発足させた時のベルルスコニーの人気に迫るものだとされている。彗星のごとく現れたイタリア政界では全く無名だった人物が現在イタリアの政治にはなくてはならない人物となっている。
<文/白石和幸>