今回の一連の事件に対し、まさに殺された女性と同じ病気を戦っている参議院議員でれいわ新選組の舩後靖彦さんは、このような
声明を出しています。ぜひ皆さんに読んでいただきたいので、そのまんま転載させていただきます。
”
事件の報道を見聞きし、驚いています。ただ、現時点では正確な事実関係がわかりませんので、事件の内容についてのコメントは控えたいと思います。
報道を受け、インターネット上などで、「自分だったら同じように考える」「安楽死を法的に認めて欲しい」「苦しみながら生かされるのは本当につらいと思う」というような反応が出ていますが、人工呼吸器をつけ、ALSという進行性難病とともに生きている当事者の立場から、強い懸念を抱いております。なぜなら、こうした考え方が、難病患者や重度障害者に「生きたい」と言いにくくさせ、当事者を生きづらくさせる社会的圧力を形成していくことを危惧するからです。
私も、ALSを宣告された当初は、出来ないことが段々と増えていき、全介助で生きるということがどうしても受け入れられず、「死にたい、死にたい」と2年もの間、思っていました。しかし、患者同士が支えあうピアサポートなどを通じ、自分の経験が他の患者さんたちの役に立つことを知りました。死に直面して自分の使命を知り、人工呼吸器をつけて生きることを決心したのです。その時、呼吸器装着を選ばなければ、今の私はなかったのです。
「死ぬ権利」よりも、「生きる権利」を守る社会にしていくことが、何よりも大切です。どんなに障害が重くても、重篤な病でも、自らの人生を生きたいと思える社会をつくることが、ALSの国会議員としての私の使命と確信しています。 2020年7月23日 参議院議員 舩後靖彦”(
舩後靖彦 Official Siteより)
同じALSという病気で悩み、今を生きる当事者の舩後靖彦さんは、
「死ぬ権利」よりも「生きる権利」を守る社会にすることが大切だと述べ、「どんなに障害が重くても、重篤な病でも、自らの人生を生きたいと思える社会を作ることが使命だ」と、政治家の役割を語っています。「生きたい」と願う人たちが堂々と、少しでも幸せに生きられる社会にするためにはどうしたらいいのか。まさに政治家の皆さんに考えていただきたいのは、そういうことではないでしょうか。
生きる人に希望を与える社会を作らず、死にやすさを優先する政治家たち
やがて尊厳死の問題が議論されることも大切かもしれません。
しかし、今を生きる人々に希望を与える仕事をするのではなく、死を望む人たちのための仕事が優先されようとしている今の政治は、あまりにも異常です。こうした思想は、まさに我々が直面している新型コロナウイルスの問題でも「どうせ高齢者は死ぬんだから、命の選別をして、若い人たちの命や自由が優先されるべきだ」ということになりかねません。
「高齢者が死ぬのは仕方がない」と無策に置かれるのだとすれば、それは「政治」ではありません。
政治家が無策になったら終わりです。さまざまな問題を解決してこその政治家なのですから、ノーアイディアで自身の言葉には自己責任を持たない「自己責任論者」を選挙で選んではいけません。そうじゃないと、僕たちはいずれこうした政治家に「殺される」ことになるのです。
<文/選挙ウォッチャーちだい>