―― 片山さんは新著『皇国史観』(文春新書)で、戦前に力を持った「皇国史観」のルーツや、それが今日まで影響を及ぼしている様を描いています。戦前の皇国史観では、日本は古代から天皇を中心とする国だったとされましたが、片山さんはこうした考え方が生まれたのはあくまで近代になってからだと指摘しています。
片山杜秀氏の新著『皇国史観』(文春新書)
片山杜秀氏(以下、片山):もちろん神話以来、天皇は連綿と続いていますが、ただ続いているのと、絶対的に存在するのとでは大きな違いがあります。明治になってからの新しい仕組みとそれを正統化する史観と考えると、けっこう新しい。
江戸時代の日本は田沼意次の頃から西洋の侵略の危険に怯えるようになり、黒船来航で一気にエスカレートします。ところが国防のための対応が取りにくい。武士もいれば町人もいる。人々は身分に隔てられて連帯できない。また、空間的にも諸藩によって分断されている。それでは国家と国民の総力の結集はあり得ず、西洋に対抗できない。
そこで、明治政府は身分や地域の違いを超え、「自分たちは同じ日本人だ」と思わせるための仕掛けを模索します。そのとき、使い物になりそうな唯一の仕掛けとして見いだされたのが、
天皇のもとにおける中央集権体制だったのです。
天皇は古代の公地公民制の時代、国土と人民のすべてを一元的に支配しました。建前はそうです。それは長い歴史の中のほんの短い期間にすぎません。他の時代は、摂政や関白や上皇や将軍がいて、一元的な日本など、ほとんど存在しなかった。明治政府のモデルになれたのは律令体制だけです。
だから明治維新は王政復古なのです。皇国としての近代日本が、
古代を憧憬しながら、かなりフィクションとして出来上がったということです。
そうして生まれた皇国日本は、敗戦によっても滅びたわけではなかった。もし滅びたのなら、なぜ戦後憲法が天皇に関する条文で始まるのか。
戦後日本もやっぱり皇国なのです。
明治政府には、日本を共和国にする選択肢もあったと思いますが、それで束ねられるとは思わなかった。共和政体とは、理想的観念のもとに国民を結集させるものです。理想は砂上の楼閣ですから崩れるときは早い。平等の理想を追求したはずの大国、ソヴィエト連邦はすでに滅びて久しく、不滅と思えた自由の国、アメリカも、昨今の有様をみれば、ソ連に遅れて分裂過程に入っているのではないかとさえ、私には思えます。
明治が皇国を選んだのは、やはり正しい選択だったのではないでしょうか。
―― 皇国史観に基づくと、令和の天皇はどのように位置づけられますか。
片山:今上天皇のあり方を考えるには、昭和天皇と平成の天皇(現・上皇)について振り返る必要があります。
昭和天皇は昭和21年1月1日に人間宣言を出し、天皇は国民と相互の信頼と敬愛によって結ばれる存在だと明言されました。つまり、天皇はただそこにいるだけで神聖とされるのではなく、国民から信頼と敬愛を寄せられるからこそ成り立つものだとされたのです。
昭和天皇が戦争を反省し、国民と共感共苦するような姿勢を見せたのも、そのためです。当時の日本には戦争の記憶が鮮明に残っていました。そこで、昭和天皇は国民の前で戦争を反省する態度を示すことによって、国民の信頼を獲得していったのです。
平成の天皇もこの路線を引き継ぎます。平成の天皇は子供の頃に戦争を経験しました。いわゆる少国民世代です。何があっても戦後民主主義と平和主義を守るという姿勢は、世代的経験によって支えられ、だから実が感じられて、多くの国民に支持されたのです。
これに対して、今上天皇には昭和天皇や平成の天皇のような戦争体験がありません。それゆえ、平和の重要性を訴えるにしても、昭和天皇や平成の天皇ほど重みのある言葉を発することはできません。今上天皇の独自性をあげるとすれば、皇太子時代から顕著になっていましたが、皇后を守るというマイホーム主義です。妻や家庭を守ることは夫の甲斐性であり、皇后を立てることはフェミニズムの現代にとりわけ重要なことですが、平和主義に比べると国民を統合する論理としては弱くありませんか。
しかし、これはある意味で平成の天皇が望んだ形かもしれません。平成の天皇は人間天皇という考え方を突きつめ、民主主義的で合理的な天皇のあり方を追求しました。これは言い換えると、天皇から神秘的な要素を取り除くということです。いわゆる生前退位によって天皇の死と改元を切り離したのも、天皇から神秘性を取り除くことを一つの目的としたことでしょう。
その結果として存在感を強めたのは安倍政権でした。天皇は死による改元によって戦後にも世俗権力を超える不可思議さを感じさせ、世俗権力を相対化する役割を果たしてきたのですが、天皇からそういう神秘的不可思議さがなくなれば、世俗権力が相対的に目立ってくるのも無理はありません。
令和の天皇はこうした厳しい状況の中に置かれています。これは今上天皇自身の責任ではなく、時代や世代のせいであり、強いて言うなら運命でしょう。
―― 平成の天皇は東日本大震災が起こったとき、直ちに「おことば」を発しました。それによって国民の不安が収まったという面があったと思います。しかし、今上天皇は新型コロナウイルスの感染が拡大する中でも「おことば」を発していません。これに対して、保守派の中には不満の声もありますが、天皇が自ら世俗化を進めてきたとするなら、今上天皇が「おことば」のような神秘的なものを発しないのは当然と見たほうがいいかもしれません。
片山:そうだと思います。今日の天皇はそうした役割を果たすものではなくなってきているということです。
しかし、現在のような状況が続けば、天皇の神聖はどんどん失われ、江戸時代の天皇のように存在感がなくなる恐れがあります。何か驚くべきことが起きて、「これが天皇の新しく強いあり様だ」という思いを国民全体が共有し直すといったことがない限り、明治維新以来の天皇のありようは衰弱していかざるを得ない。そういう時代に入ったと認識しています。
(6月30日、聞き手・構成 中村友哉)
●片山杜秀(かたやま・もりひで)
1963年宮城県生まれ。慶應義塾大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学。現在、同大学法学部教授。著書に『
未完のファシズム』(新潮選書)、『
近代日本の右翼思想』(講談社選書メチエ)など多数。近著は『
革命と戦争のクラシック音楽史』(NHK出版新書)。