映画だからこそ、世論に大きく働きかけることができる
実は、この『グレース・オブ・ゴッド 告発の時』は、題材となった“プレナ神父事件”が係争真っ只中の、2019年2月20日にフランス本国で公開された。その後も裁判は進行し、教会裁判所がプレナ神父を還俗させたのは2019年7月、プレナ“元神父”に禁錮5年の有罪判決がされたのは2020年3月のことだったのだという(プレナはこれを上訴した)。
実は、そのプレナは映画の公開直前、上映延期を求めた裁判も起こしている。しかし、フランソワ・オゾン監督の“表現の自由”や延期に伴う経済的損失が考慮され、原告の訴えは却下された。オゾン監督は「本作が拠り所としたのは報道の記事や被害者の証言などあくまで既知の素材であり、映画が新事実を提示するわけではない(つまり裁判に影響を与えない)」とも主張しており、それも受理された。
©2018-MANDARIN PRODUCTION-FOZ-MARS FILMS–France 2 CINÉMA–PLAYTIMEPRODUCTION-SCOPE
無事に公開された本作は、観客動員数91万人の大ヒットを記録。さらにフランスの映画賞のセザール賞にて、作品賞や監督賞ら主要賞を含む7部門(うち最優秀助演男優賞は俳優二人が候補に)でノミネート、エマニュエルを演じたスワン・アルローが最優秀助演男優賞を受賞するなど、大評判を呼ぶことになった。
オゾン監督が言うように、この映画が裁判へ直接的に影響を与えることはなかったのだろう。しかし、この映画が賞賛を浴び、活動への認知と理解が急速に進み、そして多くの共感を呼んだことは、被害者たちにとって大きな精神的支えにもなったそうだ。映画を観た司祭からも「教会がこの映画を受け入れられれば、ようやく教会内部で起きた事件の責任を負い、その撲滅のための最初で最後の戦いを始められるかもしれない」と、さらなる現実の動きを期待する声があがったという。
児童への性的虐待事件を描いた映画が、世論に大きく働きかける事例は過去にもあった。ろうあ学校での性的虐待を描いた韓国映画『トガニ 幼き瞳の告発』(2012)では事件が広く知れわたり、当該の学校が閉鎖され、“トガニ法”という法律が制定され性的虐待への厳罰化が図られることになった。同じく神父による児童への性的虐待を“新聞記者の調査”の側から描いた『スポットライト 世紀のスクープ』(2015)はアカデミー賞で6部門にノミネート、作品賞と脚本賞の2部門を受賞するなど絶賛で迎えられ、長年にわたり教会が隠蔽してきたおぞましい事実を世に知らしめることになった。
いずれも、すでに新聞やニュースで報じられていたり、ドキュメンタリーとして扱われていたりもした事件ではあったのだが、登場人物に感情移入できる映画という媒体でこそ、世間の人々は問題への激しい怒りの感情を持つことができた、真の意味で関心を持つことができたのではないか。関心を持つ人が多くなれば、それは大きな世論となり、問題の根絶へのきっかけにもなり得る。映画は、それだけの力を持っているのだ。
総じて、この『グレース・オブ・ゴッド 告発の時』は、普遍的な「問題の告発までに必要なこと」を学べる映画でもある。単に「この人が悪い!」と誰かに訴えたところで、強大な組織や権力の前では“うやむや”にされてしまうかもしれない。そうした時に必要なのは、団結の力と、論理的に構築した計画なのだ、と。
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性的虐待とは根本の問題が違うものの、最近ではミニシアターのアップリンクの元従業員からのパワハラの告発とその過程にも、この『グレース・オブ・ゴッド 告発の時』は重なるところがあった。相手を正しく訴えるには、被害者の声を集め、しっかりとした準備もしなければならない。たとえ、そこに大きな苦しみがあったとしても。まかり通っていた悪しき体勢を変えるためには、それほどの勇気と決意が必要なのだ。
また、児童への性的虐待は日本でも他人事ではない。恩寵園事件では、児童養護施設での性的虐待を含む凄惨な暴行が明るみになった。今もなお性的虐待の事件はたびたび起こり、それが周りの悪しき体勢や同調圧力により隠蔽されてきたということも決して少なくはない。今一度、その問題を考えるという意味でも、ぜひ『グレース・オブ・ゴッド 告発の時』を観ていただきたい。
<文/ヒナタカ>