しかし明るい未来に向けてまっしぐら、という空気ではない。この機会を逃さず
幸福の科学による「一教支配」を実現しなければ、むしろ日本は滅ぶ。そんな終末論と表裏一体になっている。
〈
まあ、国民主権はあってもいいんだけれども、「国民主権は神様から委託されているもの」というふうに思うわけですよ。
(略)
だから、神様に主権を返さなきゃいけないんですよ。〉(『大恐慌時代を生き抜く知恵 松下幸之助の霊言』=2020年)
〈
だから、幸福実現党は、次は勝たなければ駄目ですよ。次、君たちが全敗するようなら、この国は終わる。これで終わるから、本当に終わるから。〉(同)
〈
幸福実現党が通らなければ、この国は終わる。〉(同)
コロナ関連の別の霊言でも、こんな一節がある。
〈
幸福の科学は、もはや三十年以上、活動してきた。ただ、日本社会も、これを諸宗教の一つに封じ込めようということで〝頑張り〟続けてきた。救世のためにやっていることを、名誉心や権力欲、地位欲、物質欲、金銭欲のためにやっているものだと誤解して、嘲笑ってきた。その〝ツケ〟は払わなければならなくなるだろうということですね。〉(『釈尊の未来予言』=2020年)
大川総裁は常々「無神論」「唯物論」を敵視するが、この『
釈尊の未来予言』は、「宗教全般」ではなく「幸福の科学」への人々の無理解に対して神仏が怒っているという設定だ。幸福の科学を「諸宗教の一つ」と捉えることすら許さないのだから。
前出の大川総裁の発言も合わせて総合すると、人類や日本を滅亡から救いゴールデン・エイジを実現する条件は、「無神論者」の一掃ではなく事実上
「幸福の科学を理解しない者・認めない者」の一掃であると捉えることができる。つまり、幸福の科学による「一教支配」が実現しなければ日本は滅亡するのである。
オウムでは、教祖自身が殺人やテロを指示した。幸福の科学でも、たとえばフライデー事件は教祖の指示だと証言する元職員がいる。90年代にオウム真理教を激しく批判していた教団内で、大川総裁が直筆のFAXで「ブラフ(脅し)」での訴訟を指示したこともある。訴訟を起こす場合など、組織としてまとまった行動については大川総裁が指示を出したり事後承認したりしているケースはありそうだ。
一方で、自称発刊数2600冊以上という膨大な大川総裁の著作に散財する教えや教団の方針を忖度した信者たちが、教祖の具体的指示によらない問題行動を取るケースも目立つ。たとえば筆者に対する暴力行為などは、その場に筆者が取材に行くことは事前に告知していない場面だった。事前に教祖から指示が出るはずもない。逆に、取材の際に必ず暴力を振るわれているわけではないから、「いつでもどこでも藤倉を見たら殴れ」という教祖の指示が出ているとも思えない。
これは、教義や教団の方針を忖度した現場の教団職員や信者の暴走だ。だからこそ、「ポア思想もどき」の登場は危険なのである。
信者にとって「暴力を振るっていい相手」が、大川総裁の言葉を忖度した結果「早く死んだ方がいい相手」に変わったら、どうなるか。「無神論者」や幸福の科学を批判する人々が、単なる「悪魔憑き」や「闇の勢力」(幸福の科学ではそう言われる)から、「早く死ぬべき人々」に変わったらどうなるか。信仰を捨てた信者は教団で「魔が入った」などと言われるが、「罪を重ねる前に早く死んだ方がいい人々」に変わったら?
それらが死んで一掃されなければゴールデン・エイジは来ないし、日本は滅亡するのだ。命を捨てる行動こそが信仰の証明であるという教祖の言葉を真に受けて、命がけで人を殺そうとする信者が出現したとしても不思議はない。
仮にそんな狂信的な信者が1人でもいれば、それだけで「幸福の科学の教えに基づく殺人」は起こる。そこまでいかないにしても、テロや殺人でなければ構わないというものでもない。
自分の教えは世俗の法律よりも優越するという前出の大川総裁の言葉には、〈
私は、決して、「世間の常識や法律などを無視してよい」と言っているわけではありませんが〉(法話『選ばれし人となるためには』)というエクスキューズが付いている。にも関わらず、本稿で列挙した職員や信者たちの行動は、すでに法律を無視したものがいくつも見られる。
忖度で動く集団においては、たとえ教祖の言葉であっても細部のエクスキューズはどこかに消し飛んでしまう。教祖ですら制御できない集団、あるいは教祖ですら制御できない個人を生み出す集団ということだ。
こうした教団の変化や行動にしっかりと社会的監視の目を向けることが、オウム事件が残した教訓ではないだろうか。
<取材・文・撮影/藤倉善郎>