短期的にも、ウイルスとの距離をはかることは大事です。そうすればいずれ終息点を迎えるでしょう。もちろん、その平衡点までの時間はどれだけかかるか予測できません。
それまでの間に、人々の生活の保証や安心をどれだけ図れるか、ということは、国や共同体という場の成熟度が試されるでしょう。そういう困難を乗り越えながら、社会は少しずつ成長し成熟してきました。
短期的な対応と同時に、長期的にはウイルスを含めた人間以外の生き物の居場所をつくることを真剣に受け止めて、都市や街を考えていくことが必要です。それは役所の仕事、と割り切るものではなく、わたしたちが共に受け止めて担っていく仕事でしょう。簡単に言ってしまえば、壊しすぎた自然を再生してお返しする必要があります。
医療現場でもそうですが、最善と思える短期的な対症療法をし続けながら、同時に長期的な根本治療を考え続けるのは医療の基本です。
それぞれの立場や役割の中で、できることから小さい範囲から取り掛からないといけない時期に来ています。事態はどんどん深刻化していき、切羽詰まってくるから。
次の世代につけを回さないよう、「自分たちが蒔いた種は自分たちが刈り取らないといけない」のではないでしょうか。
人類はこの大自然の中に脳化社会としてのわたしたちが理想とする都市をつくりました。それは、ある極点に至りました。それは歴史の必然だったのでしょう。
過去の失敗や反省も大事です。そして、「さて、いまからどうするのか」と、視点を今ここと未来へ向けていくことも大事です。
自分のいのちの底を掘って、自分自身の内側としっかりつながること
「前に進めない」と思える時は、自分の下を、自分の底を、自分の足元をとにかく掘るしかない、と思います。
2017年に書いた自分の著作の「おわり」に、こうした文章を書きました。
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現代は、外なる世界と内なる世界とが分断されようとしている時代だ。多くの人は、外の世界をコントロールすることに明け暮れている。社会の構造も、人間関係もそうだ。外なる世界を強固につくりあげればつくりあげるほど、個々人は分断されていくという矛盾をはらむ。
なぜなら、外へ外へと視点が向きすぎると、自分自身の内側とどんどん離れていくことが多く、自分自身とのつながりを失うと、他者とのつながりは空疎で実体のないものになるからだ。
見るべき世界は外側だけではなく、自分自身の内側にもある。自分自身は、外ではなく、常にここにいるからだ。
自分自身とのつながりを失うと、自分自身の全体性を取り戻すことはできない。なぜなら、自分の外と自分の内とをつなぐ領域が、「つなぐ」場所ではなく「分断」する場所として働いてしまっているからだ。
そうした自分自身の内と外とが重なり合う自由な地を守ってきたのは、まさに芸術の世界だ。外側に見せる社会的な自分と、内側に広がる内なる自分自身とをつなぐ手段として。
そして、医療も本来的にそうした役割があるのではないかと、臨床医として日々働いていて、強く思う。
自分は、そうした外なる世界と内なる世界とを接続させてつなぐ手段として、子どもの頃から芸術や医療の世界を分けることなくみつめてきた。
稲葉俊郎『いのちを呼びさますもの』(アノニマ・スタジオ、2017年)より
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人間は弱いからこそ、社会は助け合いから生まれました。だからこそ、本来の形に戻ればきっと光が見えるはずだと思います。
善意や思いやりのような素朴な感情がうまく還流していく社会へと導いていくために、それぞれが自分の存在の底を掘って、いのちの底を掘って、自分自身の内側としっかりつながること。その上で、それぞれの水源が地下水脈でつながることが大事です。
そうしたことが次の時代のつながり方なのでしょう。個はしっかりと個を深め、その結果としての個々のつながり。物理的に浅くつながること以上に、人間の中の深い場所にある何か大切なものがつながるために。