キャプテンフック / PIXTA(ピクスタ)
検察の暴走を抑えるために検察庁法改正が必要だと主張する人たちは、検察が政権の意向を忖度し、恣意的な捜査を行ってきた過去を無視している。
6月22日発売の『月刊日本7月号』では第2特集として、「安倍vs検察 国民不在の権力闘争」という特集を組んでいる。今回は同記事から、参議院議員として司法制度改革に関わってきた平野貞夫氏に話を聞いたインタビューを紹介したい。
―― 安倍政権は世論の反発をうけて検察庁法改正案を見送りました。閣議決定で定年延長した黒川弘務・東京高検検事長も不祥事で辞職しました。
平野貞夫氏(以下、平野):政権に都合のいい人物を検事総長の座に就かせるための暴挙が挫折したということです。この問題をきっかけに政権支持率は30%を割り込み、初めて20%台にまで落ち込みました。安倍政権は完全に国民の信頼を失ったのです。
これまで安倍政権は検察を都合よく利用してきました。
安倍政権の7年半、法に照らせば罪を問われるべき政府与党の疑惑は不問に付されてきた。
甘利明元TPP担当相のあっせん利得処罰法違反、松島みどり元法相の公選法違反、小渕優子元経産相の政治資金規正法違反、佐川宣寿元理財局長の公文書管理法違反、菅原一秀元経産相の公選法違反、何より安倍総理の森友・加計・桜などの一連の疑惑は追及されないまま今日に至っています。
その背景にいたとされるのが、「
官邸の守護神」の異名をとった黒川氏です。黒川氏は安倍政権の下で法務省大臣官房長、法務事務次官を務め、政権・法務省・検察・国会の間の調整を一手にひきうけてきた人物です。彼がいなければ、このような状況にはなっていなかったはずです。安倍政権と検察は黒川氏を媒介にして、歪んだ関係を築いてきたということです。
しかし、このような関係は安倍政権が黒川氏を検事総長にしようとした瞬間、一気に崩れ去りました。安倍政権による国家の私物化が頂点に達して自己崩壊したということです。今こそ
政治と検察の関係を健全化すべき時です。
確かに、安倍政権が検察まで私物化しようとしたことは問題です。しかしそれ以上の問題は特に
黒川弘務という特定の検事が法務官僚として政治に介入し、検察が政治の在り方そのものを歪めてきたということです。黒川氏はすでに個人的な不祥事で辞職していますが、それでこの問題の本質が解決されたわけではない。「第二の黒川」を出さないためにも、今ここで、黒川氏とはいかなる人物だったのか、政治と検察の関係の実態はどういうものだったのかという問題を総括しておく必要があります。
―― 政権と検察の歪んだ関係は安倍政権に始まったことではありません。
平野:もともと自民党保守本流の旧田中派や宏池会は三権分立の何たるかを肝に銘じて、警察や検察とは一定の距離を保っていました。「今太閤」と呼ばれるほど絶大な権力を手に入れた田中角栄でさえ、警察や検察に手を出そうとはしなかった。
しかし岸信介以下、岸系の自民党議員にはこういう自制心がありません。むしろ
警察力や検察力を利用して政権を維持し、国家を私物化するというぬぐい難い傾向がある。だからこそ、宏池会の前尾繁三郎・元衆院議長は「宏池会の使命は岸派に政権をとらせないことだった」と話していました。これは前尾が生前、私に直接言ったことです。実際、旧田中派の小渕政権が倒れた後から森、小泉、安倍と清和会政権が続いていくうちに、だんだん政権と検察の関係がおかしくなっていったのです。
その象徴が
三井環事件です。2002年、大阪高検公安部長の三井環は、福岡高検検事長への栄転が決まっていた高松高検検事長が5億円の調査活動費を使い込んでいたという検察の裏金問題を告発しようとして、逆に詐欺容疑で逮捕されました。
この時、小泉政権は検察内部で決められた高松高検検事長の人事を撤回させようとしました。しかし、当時の原田明夫検事総長は「政治は検察の人事に介入しない」という原則を守るため、後藤田正晴を通じて小泉首相に働きかけ、裏金問題を不問にして予定通りの人事異動を実現してもらったのです。それ以降、検察は自民党政権に頭が上がらず、
法の正義より政権の都合を優先して
鈴木宗男事件や村上正邦事件、小沢一郎の西松建設事件、さらに陸山会事件を捜査していったわけです。
検察は
国家の正義よりも自分たちの保身を優先した結果、政権に使われるようになってしまった。ここから政権と検察の堕落が始まり、岸直系の安倍政権の下で極まったということです。
―― その中で、黒川氏はどういう存在だったのですか。
平野:永田町や霞が関では、黒川氏は「
政治家たらし」という評判です。麻生政権の鳩山邦夫法相に仕えた時には「猛獣使い」、鳩山・菅政権の千葉景子法相に仕えた時には「千葉たらし」と呼ばれるほどでした。法務大臣をたらし込み、死刑を執行させるのも上手かったため、法務省の中で着実に力を増していったといわれています。
その一方で、黒川氏には「
正義がない」という指摘もあります。これはある警察庁長官が私に直接言ったことです。
正義なき検事が政治家をたらし込んで政治に介入したとすれば、これほど恐ろしいことはありません。
もともと黒川氏は「花の35期」として1981年に検事に任官、全国の地検に勤務してから法務省に異動、いわゆる「赤レンガ組」(法務省に勤務する検事)になりました。大臣官房秘書課長時代の2007年に鳩山邦夫法相の「友達の友達はアルカイダ」という問題発言をめぐる対応が評価されてから頭角をあらわし、翌年には法務省官房審議官(政務担当)に就任しました。官房審議官は大臣・法務省・国会の関係を調整する役職ですから、ここから黒川氏が政治に介入するようになったということです。
―― 黒川氏は具体的にどのように政治に関与してきたのですか。
平野:黒川氏は「
陸山会事件」に深く関わっています。政権交代の可能性が現実味を帯びてきた2009年、検察は民主党代表の
小沢一郎を潰しにかかります。3月には西松建設事件で小沢の秘書である大久保隆規を逮捕して小沢を狙い、6月には郵便不正事件(村木事件)で厚労省局長の村木厚子を逮捕して民主党副代表の石井一を狙いましたが、いずれも不発に終わりました。
これらの捜査は
麻生首相の下で東大同期の漆間巌官房副長官と樋渡利秋検事総長が主導したとされています。当時、黒川氏は森英介法相の下で政務を担当していましたから、西松建設事件や郵便不正事件にも当然関わっていたはずです。
8月には総選挙の結果、政権交代が起きました。しかし検察は小沢潰しを続け、政権発足当初から首相の鳩山由紀夫は母親からの「お小遣い」を調べられ、幹事長の小沢は政治資金団体「陸山会」を調べられましたが、またもや不発に終わりました。しかし11月に市民団体から告発を受けるという形で、陸山会事件は続いていきました。
民主党政権と検察、黒川氏の関係が変化したのは、
2010年4月に法務省のスキャンダルが発覚してからです。民主党の看板政策である「事業仕分け」の過程で、法務省所管の社団法人「民事法情報センター」が元最高裁判事の香川保一理事長に1500万円を貸し付けていることが発覚したのです。この問題は最高裁や法務省を巻き込んだ一大スキャンダルに発展しかけましたが、民主党政権は1か月足らずで同センターを解散させてうやむやに終わらせました。
この時、政権交代前から引き続き官房審議官だった黒川氏は仙谷由人・行政刷新担当相と連携して千葉景子法相を説得して、この件をもみ消したといわれています。ここから黒川―仙谷―菅のラインが出来上がり、陸山会事件が民主党内部の権力闘争の様相を呈していくわけです。
2010年6月には鳩山首相と小沢幹事長が辞任、菅政権が発足しました。菅首相は「小沢は政治とカネの問題で国民の不信を招いた」と明言し、小沢排除の意思を明確にしていました。その後、黒川氏は8月に検事正になり松山地検に異動しましたが、10月には大臣官房付として法務省へ戻りました。その間に何があったのか。
実は、9月に民主党代表選が行われて菅が小沢を破りましたが、選挙不正が指摘されていたのです。小沢との権力闘争が激化する中で、菅と仙谷は改めて黒川氏の存在を必要とし、わずか2か月で官邸に呼び戻したということでしょう。その後、検察審査会は小沢氏に対して起訴議決を行い、翌年1月には強制起訴に踏み切りました。
黒川氏は菅首相、仙谷官房長官の下で小沢潰しに暗躍していたわけです。細かい話は省きますが、森ゆうこ参議院議員は著書『
検察の罠』(日本文芸社、2012年)で、陸山会事件で小沢を陥れようとした「黒幕」の一人として黒川氏を名指しで批判しています。
小泉政権以降、日本の政治はメチャクチャになっています。民主党政権は陸山会事件で大混乱に陥り、安倍政権は法律違反・憲法違反の政治を続けていますが、その原因の一つは、検察が時の政権に利用される形で政治に介入するようになったからです。その中で、黒川氏は政治の在り方を歪めてきたと言わざるをえない。
検察は河井事件の使途不明金1億5000万円を徹底追及せよ
―― 時の政権と検察は持ちつ持たれつの癒着関係を続けてきた。しかし、これでは法の正義が成り立ちません。
平野:私は政治と検察の問題に特別な思いがあります。衆院事務局の時代にはロッキード事件やリクルート事件に深く関わり、参議院議員の時代には12年の議員生活のうち10年法務委員を務めて司法制度改革を担当しました。特に前尾繁三郎・元衆院議長からは「検察がしっかりしなければ民主主義は機能しない。何かあったら相談に乗ってやってくれ」と言われていました。そういう経緯から、法務省や検察とは深く付き合ってきたのです。だから私の問題意識は「いかに検察を健全化するか」、これだけです。
遺憾ながら、これまで政権と検察はお互いに不祥事をもみ消しあい、法の正義よりも政権の都合を優先してきました。そこから黒川氏のような検事が政治に介入する余地が生まれ、日本の政治がおかしくなっていったのです。
しかし、今こそ検察は政権との癒着を断ち切るべき時です。そのための試金石こそ、現在進行中の河井克行前法相とその妻・河井案里参議院議員の事件です。この事件では自民党から河井案里陣営に渡った1億5000万円の使途不明金が問題になっており、そのうち一部のカネが安倍晋三事務所や公明党に流れているという情報もあります。
検察は法の正義を守るために、この点を徹底的に追及すべきです。それができなければ、日本の検察は終わりです。
(聞き手・構成 杉原悠人)
平野貞夫●60年、法政大学大学院政治学専攻修士課程修了後、衆議院事務局に就職。園田直副議長秘書、前尾繁三郎議長秘書などを経て92年、参議院議員初当選。自由民主党、新生党、新進党、自由党などを経て2003年民主党に合流。議会運営と立法過程に精通する政治家として評価される。04年、政界引退
<6月22日発売『
月刊日本7月号』より>