「トランスジェンダー」は何を意味するのか? ――トランスジェンダーという言葉をよりよく考えるための試論――

「トランス」の意味とその差異

 では、このような「ジェンダー」を「トランス」するとはどのような現象なのだろうか?この問いから「トランスジェンダー」の意味が決して一枚岩ではないことをみてみたい。  一方で、「トランス」は「超越transcendence」、つまりある枠組みから出ようとする試みを意味する。簡略化すれば「女/男」のようなという既存の性の枠組みを、他者や社会への自発的にその枠組みを崩すような振舞い(例えば、マニッシュなファッションをするが、自分を男女の中間に置く)を通して、超え出てゆこうとすることだといえる。  他方で、「トランス」は「移行transition」をも含意する。こちらは、ある性(「女/男」)からある特定の性(「男/女」)へと「移り行くこと」に重きが置かれている。それは社会の枠組みに収まるということではなく、医療制度、法制度も含めた既存の性の枠組みの中で、戸籍の性別変更等を通して制度的に自らの望む性を表現する試みだと言いえる。ざっくりと言えば、「超越」としてのトランスは「社会との対峙」という側面が、「移行」としてのトランスは「社会との対話」という側面が強くなる。  この「超越」と「移行」二つの「トランス」の意味からでも、トランスジェンダーが一枚岩ではないことが分かる。さらに、この大まかな「超越か移行か」という問いに加えて、個々人が対面しているそれぞれのジェンダー問題が重なるため、より一層、トランスジェンダーを一義的に語ることは難しくなる。大切なことの一つは、このような「差異」の中で、どのようにそれぞれが抱いたり、直面したりしているジェンダー問題を「トランスジェンダー」という言葉の内で考えることができるかだ。「差異」を無視すれば、何でもかんでも「トランスジェンダー」という箱に押し込めることになってしまうし、どこかで落としどころとなるような共通言語や連帯が模索されないことには、当事者を孤独に押しやるような個人主義に留まってしまう。  では、「トランスジェンダー」の意味をどこかで共有できるような現象は存在するのだろうか。そこで最後に、トランスジェンダーをめぐる近年の医学的な言葉の変化からこの現象を分析したい。

性同一性障害から性別違和へ

 メディアなどでトランスジェンダーを「性同一性障害」という言葉で補うことを目にしたことはないだろうか。先述のようにトランスジェンダーが直面しているジェンダーの問題は広く社会問題として理解できるもので、「障害」という病理学的な精神疾患に還元できるものではない(もちろん、精神疾患一般もまた、個人の問題にのみ還元できない社会的なものである)。  そのため、アメリカ神経精神医学会が出版し、日本の精神医学の指標ともなっている『精神疾患の診断・統計マニュアル』(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders)の第五版(2013)、通称「DSM-5」では「性同一性障害gender identity」の代わりに「性別違和gender dysphoria」という言葉が用いられるようになった。「性別違和」は「臨床的問題としての不快」と記述され、多分に個々人のジェンダー問題に合わせた社会的なものとなった(※2)(ただし、DSMに表記されている時点で「障害Disorder」と診断されていることには変わりなく医療現場、医療規範との対話やすり合わせがなくなったわけではない。このことが引き起こす、特に国内医療の問題点に関しては稿を改めたい)。  「性同一性障害」から「性別違和」への記述の移行は、トランスジェンダーの意味を「生まれた時に与えられた性別、あるいは身近な人々や社会から要求、期待される性のありよう」への「違和」として捉えることが可能だ。というのも、「性別違和」の臨床的な観点は、トランスジェンダーの意味を、異性装から身体の変容まで程度の差は様々であるが、ジェンダー問題への違和という点で本質的に「違和連続体」(※3) の内にあるものとして捉えることができるからだ。  このような「性別違和」の観点は、先に述べたトランスジェンダーの人々の間の「差異」を受け止めつつ、どう相互に関わりのある始点を与えてくれるかという意味で、一つには、重要なものである。確かに「移行」の意味でのトランスジェンダーの問題はより医療的、制度的なものかもしれないが、性(別)を移行した際に「どのように表現したい性で生活をしてゆくか」という社会的問題が付きまとう。  例えば、国内の性同一性障害特例法に基づいて戸籍上の性を変更できたとしても、ReBit(※4)のような性的マイノリティ向けの就労団体が存在するという事実からみても、就労の困難さというジェンダー問題においては、ホルモン治療や性別適合手術を望まない/受けていない人々と同じ問題を共有している。国内で戸籍の性別を変更するための要件(※5) には生殖能力の放棄という強制不妊や強制断種や結婚の権利のはく奪等の強い人権侵害が含まれており、戸籍の性別変更には大きな困難がある。その為、例えば、望む性別で生活できていても、書面上の性別と齟齬があるケースがままあり、雇用側が難色を示すことがある。  あるいは昨年アメリカで起きたトランスジェンダー殺害事件の多くが有色人種(通称、トランス・オブ・カラーtrans of color)の殺害事件であることから見て取れるように(※6) 、当事者の社会的な生活の困難さには「人種」や「階級」といったジェンダー問題が共通して見て取れるのである。これらのジェンダー問題に、程度の差こそあれ、それぞれの仕方で「違和」を感じるのが「性別違和」であり、そのため、トランスジェンダーの意味の「差異」の間にも一定の連続性を見出すことができるのである。  「性同一性障害」という表現から「性別違和」という表現への移行は、それぞれの当事者が抱えるジェンダー問題を個別的に捉えるだけではなく、それぞれの問題の「接点」を捉え、共通の問題として捉えうるような視点を与えてくれる。
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より具体的な観点に向けて「語りなおす」こと
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