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―― 新型コロナウイルスのため、世界は大混乱に陥っています。まさに水野さんが『閉じてゆく帝国と逆説の21世紀経済』(集英社新書)などで述べている「歴史の危機」だと思います。
水野和夫氏(以下、水野): 現在の状況は、フランスの歴史学者であるフェルナン・ブローデルが言う「長い16世紀」に似ています。「長い16世紀」とは、中世の封建システムから近代資本主義へ移行する大転換期のことです。ブローデルはその期間を1450年から1650年までと考えており、構造転換するまでに100年の2倍を要したため、「長い16世紀」と呼んだわけです。
この時期のヨーロッパでは、ヴァスコ・ダ・ガマがアフリカ大陸の最南端を経由してインド航路を切り開いたり、ルターが宗教改革を行うなど、既存の権威を揺るがす大事件が次々に起きたりしました。経済的には、人々は貴族階級と貧困層に二分され、大きな格差が生じていました。ブローデルはこれを「深い割れ目」と呼んでいます。
この「長い16世紀」に先立って起こったのが、ペストの流行です。ペストは14世紀中頃から断続的に流行し、正確な統計はないようですが、ヨーロッパの人口の3分の1が亡くなったと言われています。あまりにも死者が多かったため、教会が対応しきれず、きちんとした埋葬も行われませんでした。ちょうど同じ頃、カトリック教会では2人のローマ教皇が並び立つ「教会大分裂」(1378―1417年)が起こっています。それは英仏100年戦争(1337―1453年)の最中でした。世俗の二大権力が対立すると、聖界も混乱しました。こうした出来事によって教会の権威は地に堕ち、それが宗教改革の導火線になったのです。
いま起こっていることもこれと同じです。今日では教会に代わって国家が権力を持っていますが、多くの国々は新型コロナウイルスにうまく対応できず、その権威を失墜させています。
特に日本ではその傾向が顕著です。象徴的なのはマスクでしょう。日本ではマスクがなかなか手に入らず、多くの人たちが朝からドラッグストアに並んでマスクを買い求めています。使い捨てマスクを何日も使い続けている人もいるはずです。それにもかかわらず、安倍総理をはじめ国会議員たちはみな当たり前のようにマスクをしている。これは言うなれば、国民を戦争の最前線に立たせ、自分たちは鉄砲玉の飛んでこない地下室に閉じこもっているようなものです。
安倍総理は全世帯に布マスクを2枚配布しましたが、その是非はともかく、マスクはまだ国民に行き渡っていません。安倍総理がトップとしての自覚があるなら、国民の最後の一人にまでマスクが届いたことを確認し、その上で初めてマスクをつけるべきです。
私はアメリカのトランプ大統領のことは好きではないですが、彼はマスクをしていないでしょう。単にマスクをつけるのが嫌なのかもしれませんが、感染覚悟でコロナ対策に取り組んでいるように見えますから、国民の心をつかむという点では成功していると思います。ニューヨーク州のクオモ知事もマスクをしていません。リーダーとはそういうものです。
そもそも安倍総理が本気でコロナ対策に取り組んでいるなら、髪を振り乱し、徹夜状態で国会に出てくるはずです。しかし、彼にはそうした様子は見られない。それどころか、紅茶を飲みながら優雅に犬と遊ぶ動画を配信する始末です。全くふざけた話だと思います。
―― 現在の状況が「長い16世紀」と類似しているなら、新型コロナウイルスのあとに来るのは格差の拡大です。すでに日本では大きな格差が生じていますが、これがさらに拡大する恐れがあります。
水野:何の対策もとらなければ、格差の拡大は避けられません。いま日本では
非正規労働者は2千万人を超えており、
年収200万円以下の人たちも1千万人を超えています。
金融資産を保有していない2人以上の世帯の割合は1990年代になって急増し、
2019年時点で27・6%に達しています。1987年には3・3%だったことからすれば、驚くべき急上昇です。
彼らの多くは中小・零細企業に勤めています。大企業はある程度コロナウイルスによる売上減に対応できますが、中小・零細企業はそういうわけにはいきません。すぐに対策を打たなければ、次々に倒産してしまうでしょう。
また、安倍総理は企業に対してテレワークを実施するように求めていますが、テレワークに対応できるのも大企業だけです。中小・零細企業で働く人たちはコロナウイルスが怖くても出勤せざるを得ません。つまり、経済的な格差だけでなく、コロナにかかる確率にも格差が生じているということです。まさに「
究極の格差社会」です。
―― 大企業はこの危機をも利用して金儲けに走っています。『週刊現代』(2020年5月2・9日号)によると、安倍政権はコロナ対応として「新型コロナウイルス感染症による小学校休業等対応支援金」を創設しましたが、この支援金の支給を受けるには、各地区を管轄する「学校等休業助成金・支援金受付センター」に申請書を郵送する必要があります。このセンターは竹中平蔵氏が会長を務めるパソナグループと関係があります。
水野:竹中氏はいつもこういうときに顔を出しますね。けしからん話です。ブローデルは「長い16世紀」には金持ちのガラが悪くなったと述べていますが、今日の金持ちたちも同様です。メディアに出てくる金持ちを見ると、本当にガラの悪い人たちばかりです。
もっとも、金持ちのガラが悪くなったのは、何もいまに始まったことではありません。たとえば、「資本家第一号」と言われるフィレンツェのメディチ家は、もともと薬問屋をやっていましたが、一族の中に死刑判決を受けた人たちがいました。コソ泥をしたくらいでは死刑になりませんよね。要するに、メディチ家は元をたどればギャングなのです。ケインズもイギリスの海賊であるフランシス・ドレークこそ、イギリスの資本家第一号だと述べています。もともとガラが悪い人が金持ちになるということです。
マルクスは『資本論』で、「将来の人類の衰弱や、結局はとどめようのない人口減少が見込まれるからという理由で資本が実際の運動を抑制するというのは、いつか地球が太陽のなかに落下する可能性があるという理由でそうするというのとどっこいどっこいの話である」と言っています。地球が太陽に吸い込まれでもしない限り、資本家は金儲けをやめないということです。これが資本家の本性です。
―― 安倍政権に任せていては、コロナに対応できず、格差は拡大するばかりです。何か手はありませんか。
水野:政府がモタモタしているなら、いまこそ「
財界総理」の出番です。「財界総理」は最近あまり使われなくなった言葉ですが、経団連(日本経済団体連合会)会長の異名です。安倍総理に期待できないなら、財界総理たる
中西宏明経団連会長が音頭を取るべきです。
その際に活用すべきは、これまで企業が積み上げてきた
460兆円に及ぶ内部留保金です。これは企業がまさかのときに備えて貯め込んでいたお金です。いまがその「まさかのとき」でしょう。いまこそ内部留保金を使うべきです。
そもそもこの460兆円には、企業が労働者から不当に奪いとったお金が含まれています。この間、労働生産性は緩やかに上昇していましたが、企業は賃金を抑えていました。つまり、この
内部留保金には賃金の未払い分が含まれているのです。
また、企業は利息も不当に払ってきませんでした。それは利潤率と利子率の差を見ればわかります。
企業はお金を借りて事業を始め、そこで得られた利潤から金利を払います。利潤と利子の源泉は同じです。違いは利潤には偶発性があるのに対して、利子は恒常性があります。そのため、長期的に見ると、利子率と利潤率はほぼ連動します。その際、長期金利の目安になるのは10年国債の利回りです。
現在の状況を見ると、企業はグローバル化によって海外で利潤をあげている一方で、国債の利回りはほぼゼロのまま推移しています。国債は国家の資金調達ですから、国債を発行して中国に工場を作るわけにはいきません。利潤率と国債利回りが乖離しているのはそのためです。
しかし、企業は利潤をあげているのだから、それに応じた利息を払うべきです。本来払うべき利息を払わず、内部留保に回すことなど許されることではありません。
この
未払い賃金と未払い利息を計算すると、合わせて130兆円になります。これは企業が不当に得たものですから、直ちに返還すべきです。一部では内部留保金課税によって企業にお金を吐き出させるべきだといった議論もありますが、内部留保金課税をすれば、この460兆円は企業が正当に得たものだと法的に認めることになります。それは避けるべきです。
内部留保金130兆円を活用できれば、日本の全人口1億2千万人にそれぞれ100万円ずつ配ることができます。日本の平均世帯人数は2・47人なので、1世帯に247万円渡ります。家計の世帯収入の中央値は400万円から450万円ほどですから、247万円あれば半年ほど家の中にじっと閉じこもっていることができます。
企業に130兆円吐き出させても、まだ内部留保金は330兆円も残っています。330兆円でも多すぎます。それゆえ、企業はこれまで労働者に迷惑をかけてきた分を倍返しし、さらに130兆円を慈悲の心で吐き出すべきです。
もし株主が内部留保金を取り崩すことに反対したら、それこそ反対した株主の名前を公表すればいい。休業要請に応じないパチンコ店を公表している場合ではありません。内部留保金の取り崩しに応じない株主こそ問題にすべきです。
こうしたやり方で内部留保金を活用できるのは日本だけです。これほど内部留保金を貯め込んでいる国は日本しかないからです。260兆円の内部留保金を国民のために使えば、ガラが悪いと批判されてきた資本家たちの評判も良くなるでしょう。その意味で、これは資本家たちの心を入れ替えさせ、彼らを救済するための政策でもあるのです。
政府が政策を実施するにはどうしても時間がかかります。だからこそ、動きの早い民間の出番なのです。中西経団連会長にはぜひとも企業の先頭に立ち、頑張ってもらいたいと思います。
(4月29日インタビュー、聞き手・構成 中村友哉)
<月刊日本6月号より>