たとえばある日の夜、ユニのルームメイトだった実習生(中国人?)がベッドに横たわり目を閉じると突然、携帯を片手に部屋に入ってきたユニが実習生の側に立ち、
「はい、寝ています、大丈夫です」と、電話越しの相手に報告していたという。
実習生によると、ユニは同宿生の中でも任務遂行にのめり込む側に属していたが、その他の機会でも、留学生と親しくせず親切でもなかった。
当時20歳ほどであった彼女が、寄宿舎に初めて来た時だ。ある留学生がユニが乗っていた車のナンバーを見ると、北朝鮮の高級幹部の使う7.27(“祖国開放戦争勝利”の日付)であることは間違いなかった。
ユニはやはり家族の威光を傘にきて、他の同宿生よりも権威的に振る舞うのだという説が留学生の間に広まった。父親が体育大学教員であるほかの女性同宿生もその期間にいたが、彼女は中国人実習生の女性たちと親しくしていた。
その女性同宿生は残念ながらユニから頻繁にいじめを受けており、中国人実習生たちはその様子に怒りをおぼえながらも、どうすることもできなかった。
中国人実習生たちは留学を終えて中国に戻る際、彼女たちの気持ちとして中国の化粧品、石鹸ほか日用品を親しかった同宿生にプレゼントした。
すると彼女たちが平壌順安国際空港に到着したとき、ユニが来て彼女たちに小包を手渡した。中国に戻って開封すると、そこにはプレゼントしたはずの品物が入っていた。彼女たちはユニに対し憤った。
我々はそうしたことを知っている状態から、寄宿舎に入って半年ほど経った頃からユニとようやく交流を開始した。
「食事はどこで、誰としましたか?」としか聞いてこないユニ
我々を担当していたとみられる同宿生との間に問題が起きた直後、ユニは我々の部屋のドアを叩き、宿題を手伝ってくれと言った。彼女は金日成大学外国語文学部の英語専攻だといい、英語の作文などを直してほしいといってきた。
ユニがほかの同宿生よりもはるかにマシな英語で話したことにも我々は驚愕した。半年間隣で暮らしていて、その日まで一言も話さなかった彼女が突如自己紹介をし、英語専攻であることを教えてくれたばかりか、英語を話し我々に大変な関心を向け始めるとは……我々の疑いは募るばかりであった。
そして会話はつねに同じ内容で、我々の部屋に来ては「英語の勉強」をしたり、寄宿舎の廊下ですれ違うなどが常だった。
(宿題について話した後に)
ユニ「同務、食事はしましたか?」
我々「はい、11:30にしました」
ユニ「ああ、どこでしましたか?」
我々「(近くの食堂)リョンブク商店でしました」
ユニ「ああ、では誰と行きましたか?」
我々「……」
ユニ「10時にはどこにいましたか?」
我々「!?」
(我々は内心「ストレートだな」と思い、何とも言えない沈黙が流れた)
時が経つにつれ我々は、さらにはっきりと彼女の思惑を把握できた。
彼女の主な関心事は英語の勉強や文化交流ではなく、
我々の動向であった。報告に書くためつねにそうやって質問したのだ。
我々はすぐに彼女との接触に疲れ、ドアを叩かれても無視するようになった。さらには、誰であるかを見分けるためにドアをシンコペーションのリズムでノックする習慣までできた。それは特殊な環境下での生存戦略であった。
そしてユニのスローガンである「
食事はしましたか?」を留学生同士でふざけて言い合ったりもした。
<文・写真/アレック・シグリー>