結論から言えば、パチンコ店に対する政治やメディアからのバッシングは、世間一般の
長い自粛による社会不安や在宅ストレスの格好の捌け口となった。
パチンコ店の営業の仕組みや、いわゆる三店方式がいくら違法ではないといえども、元来パチンコ店が有するグレーなイメージは社会的に払拭出来ておらず、
政治や行政はそれを利用し分かりやすい「殲滅目標」を作り、世論もその殲滅戦に追随した。
メディアはメディアで、分かりやすい善悪構造を演出し世論を後押し、そして「
自粛警察」なる、先鋭化され行き過ぎた「正義の輩」の排出を増長した。
メディアは、「パチンコ店」をニュースの主語にすべきでは無かった。すくなくとも、都府県知事が店名を公表したのであれば、具体的な店名を主語にすべきであった。仮にすべてのメディアが、「パチンコ業を営む○○○○」と具体的な店名を挙げて報じたのであれば、少なからず「なんて小さくローカルなニュース」と感じる人はいただろうとも思う。もっと
メディアが報じなくてはならないニュースは山ほどあったはずだ。
緊急事態下では、中小・零細業者は生死の選択を迫られている
5月4日の政府の「緊急事態宣言」延長の決定を受け、47都道府県のうち、13の県ではパチンコ店の休業要請が解除された。更に11日は4県が追加で解除される。もともと休業要請の出ていなかった2県を追加し、11日までに19の県ではパチンコ店の営業が通常化される。勿論、最大限のウイルス感染予防努力を講じたうえでの話である。
これらの県以外(休業要請が解除されていない県)のパチンコ店も一部営業を開始している。
あるテレビのニュースショーの司会者は言った。「これだけ自粛要請の期間が続けば、命か経済かの話ではない。もう命と命の話だ」と。新型コロナウイルス感染により生命が危険に晒されるのと同様に、経済的な事由で自死すらも選択しかねない状況に追い込まれている人たちが沢山いるという意味だろう。
パチンコ店のみならず、一部を除く多くの中小企業や零細店舗は、経営が逼迫するなか、営業と休業の狭間で正解のない決断を下さなくてはならない立場にある。「命と命」の話である以上、そうならざるを得ない。
営業するもしないも、その店に行くも行かないも、詰まるところ自己責任であり、自己の判断である。その結果の責任を負うべきは店や客ではない。政治だ。ただし最後には、その政治を作り出した有権者へと責任は帰依する。
<文/安達夕>