――映画界、という言葉が出ましたけど、今回の騒動はむしろ新たに問題が浮上したというよりも、もともと映画界が抱えていた問題が前景化してきたように感じます。
濱口:これについては、(以前から行政のあり方について発信を続けられている)深田さんに言っていただいたほうがいいかなと思います。
深田:そうですね(笑)。自身の話で言えば、直近で監督した3本(『淵に立つ』『海を駆ける』『よこがお』)は文化庁からの助成金をいただいています。それ自体はありがたいんですけど、ただそれがどこに対して出資されるかと言えば、制作に対してのみなんですよね。映画づくりってけっこう長いスパンなんですよ。ざっと述べるだけでも、こういう作品を作りたいと企画して、脚本を書いて、ブラッシュアップして、撮影して編集して、配給や宣伝をしていただいて、それでようやく観客に届くんです。その中で助成が受けられる範囲はごく限られていて、企画を練る準備期間や、完成後の配給・宣伝、劇場にまでいきわたることはないんです。
もともと日本の場合、文化予算が多くはありません。国家予算に照らし合わせれば、映画に回る額は韓国やフランスの8分の1くらいしかない。また、韓国やフランスにあって日本に存在しないのは、「チケット税」です。簡単に言えば、映画入場料金の数%を徴収し、それを映画振興のための資金にあてていく制度ですね。つまり、ヒットした映画が必ずしもヒットは望めないような映画を支える仕組みで、映画業界内で生まれたお金を循環させることで、いわゆる非商業的な映画、ひいてはそれを作る人たちの生活も支えられるんです。
日本の場合は、ごく一部の大手映画会社が市場を独占しているような状態で、商業性の低いアート映画が公的にうまく支えられるような仕組みがないんです。
濱口:補足すれば、東宝のような大手映画会社の方にミニシアターへの理解がないというわけではありません。むしろ個々人では、ミニシアターでやるような作品に通暁している人も多いんですが、やはり企業の中では、売れるか売れないかという論理に回収されてしまう気はしますね。チケット税を導入するとなると、大手映画会社にとっては間違いなく不利益になりますし、利益を追求する中では、そうした選択肢をとる理由がない。
深田:また、助成金の使いづらさもありますね。作り手目線に立てていない。たとえば日本芸術文化振興会の助成金は、(年1回、秋ごろに公募される)助成制度に申請したとして助成の決定が9月下旬になります。そして、日本の役所は年度ごとに予算が動いているため、そのプロジェクトは年度内に完結させる必要がある。つまり、翌年の3月までには完成試写会を行うまでの無茶なスピードが求められたんです。この点は2年前にようやく改善され始めたのですが、助成金が振り込まれるのが完成後のために、それまで製作会社が立て替えなくてはならない。
こうした条件に対応できるのは、体制が整っている大手の映画会社でなければ厳しくて、結局本来届くべきインディペンデントの会社やミニシアターには届いていない。日本の公的な助成は、そうした欠陥には事欠きません。
――今回、クラウドファンディングのリターンは希望する映画館の未来チケットや、希望する作品のストリーミング配信などがなされる「未来チケットコース」と、参加映画館が、予告上映時に上映する感謝映像に名前を記すなどの最小限のリターンに留めた「思いっきり応援コース」に分かれています。同じ値段でも、「思いっきり応援コース」で支援をされた方も、決して少なくはないですね。たとえば10000円の支援を選ばれた方の中でも、およそ4分の1が「思いっきり支援コース」を選ばれています。
深田:「思いっきり応援コース」は形としては寄付に近いですけど、寄付とは言いたくない。それは美学というのもありますが(笑)、ただ、仕組みとして寄付になるとクレジットカードが使えなくなるので、そういうシステム上の理由もあります。
濱口:自身の経験から言っても、何もない状態でお金を集めるのは難しいんですね。なぜかというと、作品の場合、クオリティを約束できないから。しかし、クラウドファンディングはこれから作品を作ろうとしている人の大きな支えでもありますし、映画づくりと今回のような映画支援では違いはあるにせよ、残していきたい文化ではあります。今回このような結果になったことは、今後にとっても大きな希望だと思います。ネット社会のいいところが、反映された感じですね。
――今回、映画館があることは「当たり前じゃない」ということが顕在化したと思います。
深田:そうですね。コロナで大変なことばかりですけど、この認識が広まったことは、怪我の功名と言えるかもしれません。映画に関わる人たちは、霞を食べて生きているわけではなく、あくまで労働者なんです。芸術と労働はどうしても切り離して考えられがちですけど、「芸術労働者」とでも言うのか、映画に限らず、芸術に携わる人間たちも労働者なんだ、ということは広めていきたいと思います。
濱口:芸術を語るうえで、清貧譚みたいなものが好まれる風潮はあると思います。その根底には、「芸術家はお金に関わるべきではない」という暗黙の了解があるというか。経済では測れないものを産み出すのが芸術であることは間違いないんですけど、単に制作者たちの生命維持という観点からだけでも、やはりお金は必要です。ただ、そうしたことは声高には言われてこなかった。経済指標から離れたことに価値を見出しているのだから、当然といえば当然なんですが、先人たちはその傾向がより強い気がする。とはいえ、自分の中にもある感覚なので、自分と他人を少しずつ「お金も大事だよ」と説得していかないといけない。
深田:宮崎駿さんが以前インタビューで「貧しさから良い芸術が生まれる」みたいなことをおっしゃられていましたけど、それを単純な清貧礼賛として消費すべきではなく、宮崎さんが労働組合で、アニメーターの地位向上のために奔走してきたこととセットで語られる必要があると思います。
――ちなみに、おふたりは映画を教育機関で学ばれていますが、そこではマネタイズについても学ばれる機会はあったのでしょうか。
濱口:僕は大学を卒業後、映画の助監督などを経て東京藝術大学大学院(映像研究科)に進学しました。そこのプロデューサーコースにはマネタイズの授業もあったんですけど、プロデューサーコースのための授業として切り分けられていました。そこでプロデューサーの美学としては、「スタッフやクリエイターにはお金の心配をさせないように」ということが共有されていくように思います。もちろん一概には否定できないんですけど、日本で一般のスタッフがお金のことを考える機会は、ある種奪われてしまっている。
深田:僕は映画美学校の出身ですが、そちらではなかったですね。僕がマネタイズを学んだのは、劇団青年団での経験です。そこでは平田オリザさんに、「お金のことがわからないと芸術家になれない」と、予算の立て方や銀行でのお金の借り方なども研修のときに教わりました。ただ、演劇の世界でも劇団青年団のような組織は特殊だと思います。
去年『よこがお』という作品が台湾の映画祭で上映され、そこに来ていた現地の学生と話したんですけど、台湾の助成金のこととか、かなり詳しく映画学校で教えられました。こうした知見は日本の学生にはなかなかないでしょうし、変えていかなければと思いますね。
――ミニシアター・エイド基金は、あくまで「緊急支援策」であると強調されていました。
深田:今回はあくまで「緊急措置」であることは強調しておきたいと思います。もちろん、民間の力でできることはあるんですけど、有事の際にちゃんと機能してくれる仕組みや公的組織を平時のときから作っておくことが必要なんです。
濱口:非常時の記憶があるうちに、というより今も非常時が続いていますけど、「危機は本当に起こる」という感覚が生々しいうちに、危機にも対応できるような仕組みを社会全体で考えていかなければ、と思っています。
※最後に筆者より。もともとこの記事を執筆した主目的は、映画に救われてきた人間のひとりとして、
「ミニシアター・エイド基金」の存在をクラウドファンディングまでにできるだけ多くの方に知らしめることにありました。ここまで読んでくださった方には感謝を申し上げるとともに、再度のページの閲覧、できましたら支援をお願いできればと思います。クラウドファンディングは5月14日(木)まで支援が可能です。どうぞよろしくお願いいたします。
取材にお答えいただいた深田監督・濱口監督をはじめ、映画存続のために現在尽力をされている、すべての方に敬意を込めて。
<取材・文/若林良>
1990年生まれ。映画批評/ライター。ドキュメンタリーマガジン「neoneo」編集委員。「DANRO」「週刊現代」「週刊朝日」「ヱクリヲ」「STUDIO VOICE」などに執筆。批評やクリエイターへのインタビューを中心に行うかたわら、東京ドキュメンタリー映画祭の運営にも参画する。