Henz Guderian
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―― 大木さんは新著『戦車将軍グデーリアン 「電撃戦」を演出した男』(角川新書)や『「砂漠の狐」ロンメル ヒトラーの将軍の栄光と悲惨』(同前)、『独ソ戦 絶滅戦争の惨禍』(岩波新書)など、軍事史に関する著書を発表してきました。一連の著作の中で、日本の軍事史研究は欧米に比べて遅れていると指摘していますが、遅れの原因はどこにあると考えていますか。
大木毅氏(以下、大木):一つには、欧米ではアカデミズムの世界で戦争や軍隊の研究が行われていますが、日本にそうした土壌がないことです。戦後の日本は太平洋戦争の悲惨な経験があったため、戦争など研究すべきではないという空気が強かったですし、戦前のアカデミズムでも軍事史はあまり研究されていませんでした。石原莞爾が陸軍をやめたあとに立命館大学で国防学講座を始めるのですが、それまで大学には軍事史を扱う講座がなかったのです。
日本で軍事史の研究に取り組んできたのは、もっぱら軍人たちです。昭和30年代、40年代までは自衛隊に旧軍出身の人たちがおり、彼らは幼年学校のころからドイツ語教育を受けていたこともあって、ヨーロッパの軍事史研究も盛んに行われていました。しかし、彼らが現役を退くにつれ、ドイツ語を解する人も少なくなり、ヨーロッパの戦争を研究する人も減ってしまいました。
また、最近は出版不況がはなはだしいためか、外国の軍事史研究の翻訳書やノンフィクションなどが刊行されなくなっています。
ミリタリー雑誌に寄稿している人たちも、あれは趣味の世界ですから、外国の文献を読んで研究している人はごく少数です。
このような事情が重なった結果、日本の軍事史研究に空白が生じてしまったのだと思います。私が見る限り、
日本の研究は30年前、40年前の水準で止まっています。1970年代に一般的だった解釈がいまだに受け入れられているといったことも珍しくありません。
―― 日本ではグデーリアンは回想録『電撃戦』で有名だと思います。しかし、大木さんは『電撃戦』には事実と異なる部分があると指摘しています。
大木:一例をあげると、『電撃戦』にはグデーリアンがいち早く戦車の将来性に気づいたかのように記されています。日本の旧軍の人たちにとっても、グデーリアンは自分たちがやりたくてできなかった大機甲戦を実践した人なので、彼を神様扱いしている人たちがたくさんいました。
しかし実際には、第一次世界大戦で戦車隊に所属した
エルンスト・フォルクハイムや、オーストリア軍の著名な技術者だった
フリッツ・ハイグルが、グデーリアンに先駆けて戦車や自動車の運用理論に取り組んでいます。グデーリアンの役割が大きかったことは間違いありませんが、
彼だけがドイツ装甲部隊の創始者であるとするのは誇張です。
また、『電撃戦』には、ソ連軍の戦線突出部を挟撃する構想である「城塞」作戦について、グデーリアンは反対していたと記されています。しかし、当時の戦時日誌を読むと、グデーリアンは作戦自体には反対しておらず、実施方法に異議を唱えていただけであることがわかります。『電撃戦』ではこのことが無視されています。
回想録には資料的価値がありますし、読み物として面白いことも事実です。しかし、もともと回想録は自己弁護のために書かれるものなので、額面通り受け取るべきではありません。