受刑者を積極的に雇う企業のネットワークが北海道で広がる

刑務所に出向いて面接を行い、積極的に受刑者を雇う建設会社

小澤輝真社長

小澤輝真社長

 北洋建設は、小澤社長の父である小澤政洋(まさひろ)氏が1973年に設立した建設会社。当時から積極的に出所者を採用していた。とはいえ、それは「更生」というよりも人材確保が目的であったようだ。だが政洋社長は彼らに寮をあてがって3食を支給し、差別をしなかった。その姿を幼少期から見ていた小澤社長も出所者への偏見を持つことなく育った。  だが小澤社長が17歳のときに政洋社長は「脊髄小脳変性症」という、知能は保たれるが身体機能が徐々に奪われる難病にかかり50歳で逝去。社長業は母の静江さんが継ぎ、小澤社長も急きょ入社した。そして2013年、38歳で社長に就任する。だが小澤社長もまた、その前年の2012年に父と同じ難病に罹患した。医師が宣告した余命は10年。  限りある命をどう使うか。小澤社長が決めたのが、出所者をより積極的に雇用してその更生を図ることだった。小澤社長は罹患後、徐々に体の機能が奪われ、今では車椅子での移動となった。言語も不明瞭となりパソコンも人差し指だけでキーを押している。  だが、その更生にかける活動が知られるようになると全国の刑務所の受刑者から「働きたい」との手紙が送られてくるようになる。そのなかで自身の罪を真摯に反省し、かつ更生意欲が強いと見た受刑者には、小澤社長は秘書とともに刑務所にまで面接に訪れるのだ。  だが、そこで内定を出して実際に雇用しても、その9割以上が突然辞めてしまう。それでも小澤社長は、残る少数者が一所懸命頑張る姿に励まされながら活動を続けていた。

今までは小澤社長だけがひとり頑張っていた

立ち上げ集会でのパネリスト

立ち上げ集会に参加したパネリスト。向かって右から、中井正嗣社長、長原和宜社長、小澤輝真社長

 中川社長はテレビ番組を見た翌日には小澤社長に「北海道で職親を立ち上げましょう」と電話した。これで意気投合したことから、中川社長はすぐに動いた。自身の知人や心当たりのある30社に直接、職親プロジェクト参加についての呼びかけを行った。  そして2019年夏、札幌市で20社が集っての職親プロジェクトの説明会にこぎつけた。すると多くの会社が関心を示し、最終的には北洋建設も含めると31社が北海道での職親プロジェクトへの参加を決めたのだ。  中川さんは職親プロジェクトが始まることのメリットをこう説明する。 「今までは小澤社長だけが頑張っていた。でも、出所者のなかには、建設業が合わない人や、北洋建設が合わない人もいる。だから北洋建設では9割以上の出所者が辞めます。でも、そういうときに職親のネットワークがあれば、『建設業が合わなくても、この飲食業や介護施設が人材を募集しているが、どう?』と次の道を示すことができます。ただし、そういう役目を負える調整員の配備は必要ですね」
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課題は、企業同士の横のつながりを増やしていくこと
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