書くことは愛すること――ルシア・ベルリン『掃除婦のための手引書』を読む

「物語こそがすべて」

「母は本当にあったことを書いた。完全な事実ではないにせよ、当たらずとも遠からずだった」 「わが家の逸話や思い出話は徐々に改変され、脚色され、編集され、どれが本当のことかわからなくなった。それでいい、とルシアは言った。物語こそがすべてなのだから、と」  リディア・デイヴィスによる序文の中で息子はこのように証言している。ルシア・ベルリンの短編のほとんどは彼女の実人生に基づいたものだった。どんな作家も自分の人生に影響を受けずに小説を書くことはできないだろうが、彼女の小説はほとんど彼女の人生そのままのもので、そこまで人生を書き尽くすような作家は稀に思える。  彼女は人生の後半、サンフランシスコ郡刑務所で創作を教えるようになる。これは単なる想像に過ぎないが、彼女は自分の人生から物語を紡いだのではなく、自分の人生を物語そのものに仕立て上げようとしたのではないかと僕は思う。「詩と詩でないものの間を生きるわれわれを詩に駆りたてるのは、むしろ詩でないものだ」、そう書いたのは詩人、鮎川信夫だった(*5)。われわれの人生は詩ではなく、小説ではなく、物語ではない。だからこそ、われわれは詩や物語を求める。上に引用したペソアの言葉もそれに近しい。  彼女は小説を書くことで、自分の人生を改変し、脚色し、編集しようとしていたのではないか。その時、彼女の「物語こそがすべて」という言葉の意味が何か違った輝きを持つように思われる。刑務所の囚人たちに創作を教えたこと、それは創作が自らを助ける手段になることを教えようとしたのかもしれない。人生を小説にすることの中で、彼女は自分の人生に現れた何もかもを愛そうとし、そして、愛してきたのではないか、そんな風に思える。  この24編はまことに愛に満ちている。

生きた、書いた、愛した

 「時間給にしなかったし交通費ももらわないので、この家は大してお金にならない。もちろん昼食も出ない。わたしは丹精こめて働く。その代わりちょくちょく座って休み、たっぷり長居する。煙草を吸いながら『ニューヨーク・タイムズ』やポルノ本や『パティオ・ルーフの作り方』なんて本を読む。でも、たいていはただ窓から隣の家を見ている。むかし、わたしたちが住んでいた家だ。ラッセル通り1291/2。窓から見える木には硬いナシの実がなり、ターがよくそれを銃で撃った。木のフェンスが銃弾できらきらしている。  夜はベキンズの看板の光がわたしたちのベッドを照らした。わたしはターが恋しくて煙草を吸う。昼間は電車の音が聞こえない」  表題作『掃除婦のための手引書』の一節だ。この短編だけではなく、彼女は身の回りの出来事や物や人、何もかもを愛でるように書いていく。アル中のインド人、認知症の老婆、コインランドリーに現れるインディアン、不倫相手の話す英語、偏屈な歯科医の祖父、男、それに酒。  人生の何もかもが嬉しいことでないように、人生の何もかもが悲しいことでもなく、人生の何もかもが苦しいことではないように、人生の何もかもは心地いいことではない。愛に満ち溢れているというほど彼女の愛は自然的で受動的なものではなく、愛そうという積極的な試みだ。  書くことによって、彼女は書いたものたちを愛したのだろう。  本書『掃除婦のための手引書』を読んだ時、フランスの小説家スタンダールの墓碑に刻まれた「生きた、書いた、愛した」という言葉を思い出した。ここで詳しく書きはしないが、スタンダールはまことに生き、書き、愛することが人生だった。彼女にとって小説は人生を生き、書き、愛するための手段だったのではないかと思う。 【参考文献】 『掃除婦のための手引書』ルシア・ベルリン著、岸本佐知子訳、講談社、2019年 *1『純然たる幸福』ジョルジュ・バタイユ著、酒井健訳、筑摩書房、2009年 *2公益社団法人日本出版協会https://www.ajpea.or.jp/statistics/ *3『不穏の書、断章』フェルナンド・ペソア著、澤田直訳、平凡社、2013年 *4『困難な存在、あるいは僕自身』ジャン・コクトー著、秋山和夫訳、筑摩書房、1996年 *5『鮎川信夫全集Ⅲ』鮎川信夫著、思潮社、1998年 <文/市川太郎>
1989年生。立命館大学文学部卒業。劇作家、演出家。主な作品に「いつか、どこか、誰か」(GEKKEN ALT-ART SELECTION選出作)、戯曲「偽造/夏目漱石」(BeSeTo演劇祭+参加作品)、「もう、これからは何も」(アトリエ劇研演劇祭参加作品)、「愛だけが深く降りていくところ」(「自営と共在」展参加作品)など。
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