面接でプライドはズタズタになった山田さんだったが、無事に自動車期間工として採用され、広島の工場で勤務することが決まった。しかし、彼の受難はこれだけでは終わらなかった。
「新幹線代がもったいなかったので、東京から夜行バスで広島に行き、工場の近くに用意された寮に入りました。やっぱり長距離のバスはあまり眠れないし、体が疲れますね。でも入寮したら、眠気が一気に吹き飛ぶような出来事があったんです」
それは寮生活の注意事項の説明を受けている時だった。「基本的には迷惑にならないように大声を出さない、テレビのボリュームは下げるとか、ありきたりな内容でした。だいたい聞き流していたのですが、その中でとんでもない発言が飛び出したんです」
耳に入ってきたのは「過去に寮内で殺人事件が発生した」という衝撃の事実だった。
「『寮内での金銭の貸し借りはしないように』の後に、『それが原因で過去に殺人事件が起きていますから』とサラッと言われたんです。でも、それ以上詳しいことは何も聞かされませんでした。その工場では過去に、同僚にストーカーされているという妄想に取りつかれた期間工が、工場のゲートに車で突っ込み、十数人を死傷させた事件があったんです。新聞や週刊誌、ワイドショーなどでも盛んに取り上げられたので、そのことは知っていました。でも、それはあくまで例外的な事件だと思っていたんです」
自分の部屋に入り、すぐにスマホで検索してみると、先ほど告げられた内容であろう金銭の貸し借りをきっかけとした殺人事件のほかにも、期間工が同僚から300万円もの金品を脅し取られた恐喝事件などが発生していることも判明。
「どうやら表沙汰になっていないだけで、その寮では恐喝やちょっとしたトラブルは頻繁に起きているようなんです。そんなこと面接では一言も言っていなかったのに…。とんでもなくヤバい所に来てしまったと、初日からものすごく後悔しました」
小林多喜二の小説『蟹工船』では、劣悪な労働環境に耐えかねた工員たちが蜂起する“労働者の団結”という救いも描かれている。しかし、団結どころか、労働者同士が食い物にし合う自動車期間工の救いのない闇に、山田さんは気づいてしまったのだった。
<文/中野龍>
1980年東京生まれ。毎日新聞「キャンパる」学生記者、化学工業日報記者などを経てフリーランス。通信社で俳優インタビューを担当するほか、ウェブメディア、週刊誌等に寄稿。