さて、本題に入る。最初に、
本当に「検察官が逃げた」のかどうかの検証だ。報告書ではどう書かれているのだろうか。
46ページから48ページ、そして144ページの部分にそれが書かれている。
福島地検いわき支部は当時、「福島第一原発から放出された放射性物質による放射線に関する十分な知識及び情報が得られなかったこともあって、地域住民の不安が高まった。これに加えて、同支部管内は、太平洋沿岸地域で、震災、特に津波による被害も甚大であり、いわき支部管内は、極度の混乱状態であって、事件関係者の取り調べや証人、被告人(在宅)等の公判への出頭確保が困難になっていた」という。
そこで地検いわき支部は震災後最初の通常勤務日となった月曜日の3月14日、庁舎等施設の被害状況を行った。さらに裁判所、地裁いわき支部は3月14日以降、裁判期日の一部・全部を取り消した。つまり裁判が開かれないことになった。それを受けて、「執務場所は3月16日から23日まで郡山支部に変更した」と記されている。森法相が言う「逃げた」のではなく、
いわき支部から郡山支部に執務場所が変更されたと、この文書は語る。
なお、福島富岡区検は、区検庁舎が東京電力福島第一原発から10キロ地点にあり、3月12日早朝から避難指示が出されている。報告書作成時点では「立ち入ることができず、現在も被害状況が把握できていない」とある。
「身柄拘束している十数人の方を、理由なく釈放」したのか
次に身柄拘束している人の釈放の部分について、報告書を見てみよう。
実はこの部分は真っ黒な「のり弁」が20ページ以上続くのだが、のり弁の合間、101ページに「(5)震災による混乱等を理由とする保釈請求等」で、わずか4行書かれている。ここでは「
震災による混乱や勾留の長期化等を理由とする被告人の交流執行停止または保釈の請求は、後記5(4)に述べる●件(筆者注:件数が黒塗り)を除き、いずれの庁においても確認されなかった」という。そして後記5(4)」では、「
裁判員裁判事件における震災による混乱や勾留の長期化等を理由とする被告人の保釈請求は、●件確認されている」。「
被告人の勾留執行停止の申し立てや、同様の理由による裁判員裁判を除いた通常事件における保釈請求は、いずれの庁においても確認されなかった」とも述べられている。
黒塗りされていない部分を素直に読めば、
保釈請求はあったが、その理由は「裁判員裁判事件における震災の混乱や勾留の長期化」が理由であって、森法相がいう「理由なく釈放」ではない。こちらもアウトなのだ。
最後に、今回、筆者がなぜ情報開示請求をしたのか、ということを少し述べたい。それは、まさに、森法相が言うような「検察官が逃げた」「被疑者を理由なく釈放した」という話を地元福島で頻繁に聞き、「それが単なるうわさなのか、実際に起きていたのかを検証したい」という目的があったからだ。
実は、手にしたこの文書では、「2.勾留中の被疑者・被告人の身柄の管理」の中の(1)身柄管理の概要 (2)緊急護送 (3)勾留中の被疑者の取り扱い(移送と釈放) (4)勾留中の被告人の取り扱い、そして「3.捜査への影響」(以後、受理・処理・未済事件数、被疑者の勾留手続等、取調べ等、精神鑑定等)そして、釈放事件の捜査処理、処理件数及び未済事件数の推移―などをはじめ、筆者が知りたい重要な部分が完璧にのり弁になっていた。
当時は「これは原稿にはならない」と判断した。狙っていた検察側の“失策”が明確には見えなかったからだ。もちろん、原稿にするようなアイデアや、さらにネタを掘っていく力業(ちからわざ)が筆者になかった、ということもあったのだが。
ところが、今回の森法相の発言によって、完璧に「お蔵入り」していた文書がゾンビのように息を吹き返した。それも311というメモリアルの日前後に。森法相は、法相なら黒塗りなしで見られる内部文書すら確認しなかった可能性もある。国会でデマまがいの発言をし、議事録という公文書に黒歴史を残した。身内の文書がブーメランで刺さってきたのだから、皮肉なものである。時を超えて権力者を審判する、これこそが「公文書のチカラ」なのだ。
安倍政権は、森友・加計問題や、桜を見る会で公文書を残さず、それどころか破棄までする悪行を続けている。森法相は黒川弘務東京高検検事長の定年延長に関して、文書ではなく「口頭決済」を得たと発言した。行政執行の根幹をなす文書主義を否定している。政治家としても、法律家としても、あるまじき行為だ。
我が国では1999年に情報公開法が制定されたが、公文書管理法がなかったため、文書を残す側の責務があいまいで、国民の知る権利の行使や権力側の監視が不十分な状況が続いていた。2009年にようやく公文書管理法が成立、東日本大震災後の2011年4月1日に施行された。真っ先に適用された出来事が東日本大震災になった。被害や教訓を後世に残すための記録作成を当時の民主党政権が命じたが、官僚たちはなかなか記録を残さない。自民党に政権交代するまでのわずかの間、官僚を叱咤し、報告書を書かせた成果が、9年経って役に立った。同時に、今回の森法相発言に象徴する「司法への政治介入」から官僚を守ることに、結果として役立った。
もちろん筆者は、東日本大震災当時、法務省や地検、法相の対応が適切だったかどうかは、引き続き追う課題だと考えている。だからこそ、今回の森法相の発言の顛末も含めて、法相・法務省自身がしっかり東日本大震災当時の対応を自己検証し、公文書に残すべきだと思っている。13日の謝罪だけで辞任や罷免を免れるアマアマ処分で続投する森法相。任期中に内部文書をしっかりと読み、自分の発言を巡る内部調査や再検証を進め、その結果を公開すべきだ。
◆本原稿は、
横川圭希氏のnoteに公開されたものに加筆したものです。
<取材・文/あいはらひろこ>
ジャーナリスト。元福島県の新聞記者。フルブライターとしてマイアミ大学メディカルスクールに研究留学、医療倫理を学ぶ。東日本大震災以降、被災地を取材し続けている。近刊『21世紀の新しい社会運動とフクシマ―立ち上がった人々の潜勢力』(後藤康夫、後藤宣代編著、八朔社)で「グローバルヒバクシャとフクシマをつなぐ―その終わらない旅、そして運動」執筆。